














聖霊降臨後第17主日(特定19)(B年)2024年9月15日
知恵7:26-8:1; ヤコブ3:1-12; マルコ8:27-38
「イエス・キリストの福音」、「神の国の福音」。教会に来て「福音」という言葉を聞かずに帰ることはないというくらいに私たちにとって馴染みのある、当たり前の言葉です。
しかし日本語で「福音」と訳される元のギリシア語の ‘εὐαγγέλιον’ は、そもそもキリスト教用語ではありませんでした。
イエス様の時代のローマ帝国の文脈では、皇帝の戴冠式、ローマ軍の戦争勝利を祝う凱旋、皇帝の後継者となる男子の誕生といった出来事が ‘εὐαγγέλιον’,「良き知らせ」と呼ばれました。
「福音」という言葉をイエス・キリストに結びつけて用いる最初の例は、パウロの手紙の中に確認できます。
新約聖書全体の中で、‘εὐαγγέλιον’ という言葉は76回用いられていますが、そのほとんど(60/76)はパウロの手紙か、実際にはパウロが書いたのではないけれども、パウロの名を付けて書かれた手紙の中に出て来ます。
しかし、「福音」の中身について語っているのは、『コリントへの信徒の手紙一』の15章だけです。パウロは1節で「きょうだいたち、私はここでもう一度、あなたがたに福音を知らせます」と言って、その「福音」の内容を、こう記しています。
「3 キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5 ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。」(Iコリ15:3-5)
これが紀元後の35年頃から60年頃までの間に語られていた「福音」の中身です。たったこれだけです。
注意深く見ると、この非常に短い「福音」もすでに、ナザレのイエスの死、葬り、弟子たちに対する復活のキリストの顕現に関する「解釈」として構成されていることがわかります。
この極めてコンパクトな「福音」を、ナザレのイエスを主人公した物語として展開したのは、紀元後の70年頃にマルコ福音書を書いた(あるいは編纂した)人物です。
マルコの福音書は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉で始まります。
マルコ福音書の編纂者のしたことは非常に劇的で、それは驚嘆に値します。
なぜなら、彼は『コリントへの信徒の手紙一』の中で、たった3節にまとめられている「福音」を、16章からなる物語に仕立てたからです。
たった3節にまとめられた「福音」と、16章の物語として語られた「福音」とが、「同じ内容」であるはずがありません。
ここに、今日のもっとも重要なポイントが2つ隠されています。実は、「福音」というのは、「雪だるま式のはちみつレモン」なんです。
1986年、私が高校1年の時、サントリーが「はちみつレモン」という飲み物の販売を開始しました。
中身は、なんてことはない、普通の Lemonade なんですが、これが大ヒット商品になりました。何であんなに売れたのかわからないというくらいに、売れたんです。
サントリーは、「はちみつレモン」を商標登録しようとしたらしいんですが、「はちみつ」と「レモン」を並べただけの商品名は、商標登録を認められませんでした。
すると、「はちみつレモン」の大ヒットを見て、百を超える会社が、同じ名前や類似の名前の、後発商品というよりコピー商品を次々と売り出し、空前のはちみつレモンブームとなりました。
あまりにも多くの「はちみつレモン」が世に現れて、市場は飽和状態になり、ブームも終わり、サントリーは2000年に「はちみつレモン」の販売を終了しました。
今日、「はちみつレモン」の話をしているのは、私がサントリーから広告費をもらっているからではなくて、「福音」を理解する手がかりになるからです。
イエス様は神の国の到来を宣言しましたが、自分の働きや教えを、「福音」と呼んだことはありません。
しかし、パウロは、ナザレのイエスの死と、葬りと、弟子たちに対する顕現を、「福音」として聞いています。
イエス様の言葉と、生き方と、彼に、あるいは彼を通して起きた出来事を「福音」と最初に呼んだのはパウロではありません。
むしろ彼は、すでに福音として語られていたことを聞いたのです。
誰が、ナザレのイエスの言葉と、生き方、彼の死と葬りと、弟子たちへの現れを「福音」と呼んだのかはわかりません。
確かなことは、異なるヴァージョンの「はちみつレモン」が大量発生したのと同じように、多くの人たちが、ナザレのイエスについて語る言葉を「福音」と呼んだということです。
しかし、今日の話にはもう一つの重要なポイントがあります。それは、「福音の雪だるま現象」です。
パウロの聞いた「福音」は、たった3節にまとめられるほどコンパクトな内容でした。しかし、マルコ福音書の編纂者の生み出した「福音」は16章からなる物語です。
「福音」の核の部分、雪だるまの中心には、ナザレのイエスの語った警句・箴言、譬え話、印象的な言葉、十字架の死と葬り、そして弟子たちに対する甦りのキリストの顕現があります。
ところが、「福音」がコピーされ、語り直されるときには、無限に新しい要素が加わり、雪だるまのように膨れ上がってゆきます。
私たちが新約聖書と呼んでいるコレクションに収められた書物も、そのようなコピーと雪だるま現象の結果として生まれました。
ナザレのイエスが語った「神の国」がどのように到来するのか、どのように完成するのかということについて、1世紀のJesus Movementの中には、多様な解釈がありました。
しかし、「神の国は、イエス・キリストが再び来られるときに到来する(あるいは完成される)」という解釈が、多くの人に受け入れられ、「主流派」となり、大きな影響力を持つようになりました。
マルコの福音書の編纂者も、この解釈に沿って、自分の「福音」を展開しているんですが、イエス・キリストの再臨(再び来られること)と神の国の到来を結びつける教会は、大きな危機に直面していました。
それは「イエス様が帰ってこない」という危機でした。
「神に背いた罪深いこの時代に、私と私の言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」という言葉は、この危機を背景にして、教会の引き締めのために語られたものです。
復活のキリストの不在、再臨の遅延という現実に直面する教会は、反対者から大いに馬鹿にされました。
「キリストが再び帰って来て、神の国が到来すると言い続けて、一体、何年経ってるんだ?世界はこれまでと何も変わっていないじゃないか。お前たちが語る福音は『来る来る』詐欺だ!」
あざけりの言葉を浴びせられ、多くの人たちの信仰が揺らぎ、教会から去っていったはずです。
しかしマルコ福音書の編纂者は、エルサレム神殿の崩壊を見て、「ついにイエス・キリストが帰って来る!神の国が到来する!」、そう思いました。
「自分の命を守ろうとして、イエス様を否認したら、復活の命に与れないぞ!しかし、福音のために命を落とす者は、イエス・キリストが帰って来て神の国が完成するとき、復活の命に甦んだ!その時が目前に迫っている!
マルコ福音書の著者は、逆転勝利 (come back win) の道を語ることで、人々が教会から離脱していくのを食い止めようとしました。
その後、マルコ福音書の教会がどうなったのか、誰もわかりません。私たちが確かに知っていることは、イエス様が帰って来なかったということです。
皆さんの中に、「日々、イエス様の帰りを待っています」という方はいらっしゃいますか?
私は、気候変動によって人類が生き残れなくなるかもしれないと心配しています。
ウクライナやパレスティナが、第三次世界大戦の引き金となり、核戦争となって、世界が滅びることになるかもしれないことも心配しています。
でも、「明日イエス様が帰ってきたらどうしよう!」とは心配していません。
いや、むしろマルコ福音書の編纂者が思い描いたような「再臨」が無いことを、私は知っています。
そもそも、「イエス・キリストの再臨を待とう」というメッセージが、21世紀のこのとき、この世界で生きる人たちにとって、「良い知らせ」、「希望の物語」になるはずがありません。
マルコ福音書の編纂者も、ただ自分が聞いた「福音」を、オウムのように反復していたのではありません、
彼も、「新しい福音の物語」を語ることによって、教会を鼓舞し、人々に希望を示そうとしました。
同じように私たちも、気候変動と、第三次世界大戦の危機に直面する世界の中で、ナザレのイエスの言葉と彼の生き方、彼を通してなされたことと彼の上に起こったことに帰り、「福音」を新たに語り直す必要があります。
新たな福音を生み出すことができなければ、教会は死んでしまうんです。
ナザレのイエスを死から起こし、弟子たちに現された神が、聖霊の息吹によって、私たちに新たな福音の物語を語らせてくださいますように。
