聖霊降臨後第19主日 説教

聖霊降臨後第19主日(特定21)

2024年9月29日

エステル7:1-6, 9-10, 9:20-22; ヤコブ5:13-20; マルコ9:38-50

 今日は、福音書朗読からではなく、第一朗読で読まれたエステル記に焦点を当ててお話しをしようと思います。

 エステル記は、紀元前486年から465年のペルシアを舞台として書かれた歴史フィクションです。

そこに書かれていることは、歴史的な出来事ではありません。クセルクセス一世の王妃の名前は「アメストリス」です。

ペルシアの年代記には、王妃ワシュティも、ユダヤ人王妃のことも書かれてません。もちろん、エステルの名も、モルデカイの名も出てきません。

 旧約聖書世界の歴史にちょっとだけ触れますと、北イスラエル王国の滅亡が紀元前722年、南のユダ王国の滅亡は紀元前586年、そしてバビロン捕囚からの帰還は538年です。

 エステル記が紀元前486年から465年のペルシアを舞台にして書かれているということは、この書物はディアスポラ(離散の)ユダヤ人コミュニティーの中で書かれているということです。

 ディアスポラというのは、ユダ王国を滅ぼしたネブカドネザル王によって、捕囚としてバビロンに引かれて行った人々とその子孫で、パレスティナに戻らずに、バビロン、あるいはペルシアに残った人々のことです。

 実は、捕囚としてバビロンに引かれて行った人々とその子孫の大部分は、ペルシアの王キュロスが帰還許可を出した後も、パレスティナに帰りませんでした。

 ユダヤに戻って、ダビデの血統を引き継ぐ王国を再建しようという人たちは、ごく一部でした。

 エズラ記の数字をそのまま受け入れると、ユダヤに帰還したのはたった42,360人で、その10倍以上の人たちが、バビロンに残ったはずです。

 イエス様の時代も、その後も、バビロンには世界最大のディアスポラ・ユダヤ人共同体が存在しました。今のイランやレバノンに存在するユダヤ人コミュニティーは、その末裔です。

 エステル記は、ユダヤ人が離散の民として生きることを肯定します。

 ヒロインのエステルという女性と、もう一人の隠れた英雄で、エステルのいとこにあたるモルデカイという男性は、ペルシアに残ったディアスポラ(離散の)ユダヤ人を代表しています。

 物語は、クセルクセス王が180日に及ぶ大宴会を開いた時に、王妃ワシュティが王の機嫌を損ねたため、新王妃を探すことになったというところから始まります。

 物語の前半部分は非常にエロティックで、ペルシア中から美しい処女たちがハーレムとして集められ、王を「喜ばせる」ための準備期間として1年が与えられます。

 その後、一人ずつ王のもとに呼び出され、すべてのハーレムの「お試し期間」が終わった後に、エステルが王妃として選ばれます。

しかしエステルは、養父となった従兄弟のモルデカイから、自分がユダヤ人であることを明かさないようにと命じられていて、素性を隠したまま、クセルクセスの王妃となります。

 エズラ記の内容と比べて、非常に驚くべきことは、エステル記の中には、異邦人との結婚に対する非難も、その結果として当然起こる、食物規定を破ることに対する批判も、一切無いことです。

 「エステル」という名は、バビロンの愛と戦争の女神「イシュタル」からか、ペルシア語の「星」を意味する「スタラ」から来ています。

 「モルデカイ」という名はバビロンのパンテオンの主神、マルドゥクから取られていて、宮廷の役人の一人として描かれています。

 さらに驚くべきことは、モルデカイが、ダビデのライバル王であったサウルの子孫として描かれているということです(2:5)。

 これが何を意味しているのかと言いますと、エステル記は、パレスティナに帰ってエルサレムの神殿を再建し、ダビデの血統を継ぐ王国を再建しようとする者たちに反対しているんです。

 むしろ、ディアスポラとして、離散の民として、バビロンに残り、ペルシア人の王のもとで、外国人の間で、異文化の中で生活することを肯定しています。

その最たるしるしが、エステル記9章20節から22節に出てくる「プリム」という祝日、お祭りです。

 「プル」はアッカド語で「くじ」を意味していて、「プリム」というのは、年の初めにくじを引いて、その年の運勢を占うお祭りだったようです。

 要は、ディアスポラのユダヤ人は、異教徒の地元の祭りに参加していたわけです。

 さらに、エステル記は異文化要素と異教的要素に溢れた書物であるばかりか、その中に「神」という言葉が一度たりとも出てきません。

 旧約聖書に収められた書物の中で、神という言葉がまったく出てこないのは、エステル記と雅歌だけです。

 宗教改革者のマルティン・ルターは、『卓上語録』の中で、エステル記をこう酷評しています。

 「私は第2マカバイ記とエステル記に大いに敵対する者である。私は、これらの書物が私たちの手元になければ良いのにとさえ思う。なぜなら、どちらも異教の不自然な(要素)を無数に含んでいるからである。」

 ルターのみならず、教会の指導者たちは、「聖書の中に、立場の違う、多くの声が響いている」という事実を否定しようとしてきました。

 しかし、エズラ記とエステル記が、ユダヤ人共同体としてのあり方について、まったく異なるヴィジョンを描いていることは、否定しようのない事実です。

 さて、エステル記が、外国人支配の異文化の中で、ユダヤ人コミュニティーが生きていくことを肯定する書物であることは確かなんですが、その中で示される「生き残りのための知恵」は、かなり危険なものです。

 クセルクセス王に次ぐナンバー2の「ハマン」という男が、自分の前に膝を屈めないモルデカイに腹を立て、王を操作して、ユダヤ人を虐殺しようと企てます。

 しかしモルデカイとエステルの機知 (wit) によって、ハマンの陰謀は王の目の前で暴露され、彼と彼の10人の息子たちは殺され、木に架けられ、晒し者にされます。

 ユダヤ人虐殺計画に加担しようとしたハマンの同族者800人も、ユダヤ人の報復によって殺されます。

 こうしてエステル記は、年初めの運試しのお祭りだったプリム祭を、ユダヤ人の虐殺を企んだ者に対する報復を喜ぶ祭りへと変えました。

 エステル記は、外国人支配者の下で、異文化の中で生きることを肯定しつつ、そのような環境の中で生き延びるためには、敵に殺される前に、敵を殺す狡猾さを身につけるべきだと、私たちに教えます。

 敵に囲まれた世界で、敵に殺される前に、敵を殺害することによって生き延びる。

 それは今まさに、シオニスト国家イスラエルが、パレスティナでしていることです。

 しかし長期的に見れば、敵に殺される前に、敵を出し抜いて、敵を殺す道は、滅びの道でしかありません。

 敵と見做したものを無差別に殺害する「シオニスト国家イスラエル」は、パレスティナ人にとっての敵であるばかりではなく、人類の敵、平和の敵になりました。

 オスマントルコは滅びました。ナチス・ドイツは滅びました。ソビエト連邦が滅び、チェコスロバキアは滅びました。大日本帝国も滅びました。

 どのような政治理論を作り上げようが、支配体制が、そこに住む人を代表することなど決してありません。

いかなる支配体制にも、存在する権利などありません。早晩、シオニスト体制も、必ず崩壊します。

 バビロンに残ることを選んだ離散のユダヤ人と同じように、ナザレのイエスに従って、神の民として生きようとする者たちも、この世にあっては皆ディアスポラです。

 私たちも、自分が支配していない世界の中で、自分たちと違う人たちと共に、異文化の中で生きる知恵を身につけなければなりません。

 しかし、私たちは、敵を出し抜き、敵に殺される前に敵を殺す、エステル記の「知恵」をもって、ナザレのイエスに従うことも、神の国の民として生きることもできません。

 なぜなら、イエスさまは、敵を殺すことを禁じたからです。ナザレのイエスに倣って、神の国の民として生きようとするなら、私たちはむしろ、こう言わなくてはなりません。

 「私たちは、誰のことも殺しません。たとえ国が、あなたのことを敵だと言っても、私たちはあなたと一緒に生きる道を選びます。私たちは、決してあなたを殺しません」と。

 私たち聖マーガレット教会が、できる限り多くの人々と、「水を飲ませてもらえる関係」を築きあげてゆくことができますように。