聖霊降臨後第21主日 説教

聖霊降臨後第21主日

 2024年10月13日

アモス5:6-7,10-15; ヘブライ4:12-16; マルコ10:17-31

昨日の土曜日、東京タワーのふもとにある聖アンデレ教会のホールで、東京教区の会計・監査担当者懇談会が行われました。

 普段であれば、会計担当の方にお任せして、私はこの懇談会には出席しません。ところが、昨年の第143(定期)教区会で、教区費分担金制度等検討特別委員会という、どう考えても嫌われ者の委員会ができまして、その委員の一人に選ばれました。

しかも、第1回目の集まりで、委員長をやるようにという流れになってしまいました。「私は沢山喋るので、委員長は別の人にした方がいいと思います」と言ったんですが、委員長でも喋っていいと説得されまして、結局、ザアカイ役を引き受けることになりました(ザアカイはルカの福音書に登場する、町中から嫌われている徴税人で)。

 その結果、昨日の懇談会に、教区費分担金制度等検討特別委員会の委員長として出席せざるをえないことになりました。

 今回はそこで、各教会の今年度の献金達成状況の資料に加えて、各教会に牧師が一人いて、牧師給を全額負担した場合、分担金の額がどのように変わるかというデータが、教会名を明らかにした形で、初めて示されました。

 さらに、5年後、10年後の現在堅信受領者数と、献金額のシミュレーションも資料として提示されましたが、そこに出てくる数字のすべてが、東京教区の教会が置かれている危機的な状況を示しています。

 聖マーガレット教会の5年後、10年後の予測も、残念ながら、かんばしくありません。

 今年の現在堅信受領者数は昨年より2名増えて178名ですが、これまでのトレンドが続いた場合、5年後には115人、10年後には80人に減少すると見込まれます。

 このまま行けば10年後には、マーガレット教会の現在堅信受領者数は、今年の半分以下になるということです。

 急激な物価上昇と、実質賃金の減少と、信徒数の減少のトリプル・パンチを受ければ、当然のことながら、この建物もパイプオルガンも維持することはできません。

聖マーガレット教会は、東京教区の中で信徒数も献金額も、最も大きな教会の一つです。その教会が、このままいけば、5年後にはこの聖堂もパイプオルガンも手放して、身の丈にあったあり方を見出さなくてはならなくなるわけですから、東京教区の他の教会がどうなっているか、想像に難くないでしょう。

実は、今日の福音書朗読の物語の背景には、マルコ福音書を書いた人が属していたコミュニティーの、教会財政問題が反映されています。

イエス様は、「自分のためにため込もう」とする者たちこそが、神の国の到来にとって最大の障害だと考えていました。イエス様に言わせれば、富が蓄積するところには必ず悪があります。

 片方に飢え死にする人がいて、片方には100回人生をやり直しても使いきれないほどの富を持っている人がいるという現実は、すべての人が生きられるようにと神が備えられた恵みを、富を蓄積する人間が奪い、生きられるはずの人が死んでいくということです。

 ですからイエス様は、この世の富を蓄積した者が、神の国のためにこの世の富を手放し、この世の宝を神の国の宝と交換する気がなければ、その人は神の国には入れないと言われました。

1世紀の教会は、本気で、神の国の共同体であろうとしました。そして、この共同体の中心には、この世で経済的にもっとも弱い人たちがいました。それは女性たち、子どもたち、病人、そして貧しい人たちです。

 神の国を指し示す共同体の健康状態を測る上で、もっとも重要な指針は、コミュニティーの中のもっとも経済的に弱い人々が、食っていけるかどうか、生きられるかどうかというところにありました。

Jesus Movementの群れに属する者は皆、自分が生きるために必要なものを、共同体の中で受け取る権利を持っています。

それと当時に、教会のメンバーは皆、自分の与えられた恵みをもって、共同体を支える義務を負っています。経済的に豊かなメンバーたちは、教会の経済を支える義務を負っています。

使徒言行録の著者は、2章と4章で、「イエス運動の共同体」は、財産を共有する群れであるということを強調した上で、5章でこんな話をします。

アナニアとサフィラという夫婦が、自分たちの持っていた土地を売って、その代金をペテロのところに持ってきます。ところが、彼らは、土地を打った代金の一部を、自分たちのためにこっそりとっておきました。

 しかし、「これが土地を売った代金の全額です」と嘘をついたために、二人とも死んでしまった。なかなかショッキングな話です。

 「そんなことで死ななくちゃいけないなんて、あんまりじゃない?」と、貧乏人の私も思います。

 ただ、この話は間違いなく、1世紀の教会の中で、経済的に豊かなメンバーが、共同体の経済を支える重大な義務を負っていると考えられていたことを示しています。

 ただし、1世紀の教会も、裕福なメンバーに、自分の生活ができなくなってでも、財産を捧げろなどという無茶な要求はしませんでした。

 使徒言行録の著者も、ペトロの口を通して、土地を売らないでおいても良かったし、売った代金も自分の思うようにして良かったのだと言わせています。

 今朝の福音書朗読の物語は、単純化して言えば、神の掟を守っていますと言おうが、国の法律を破ったことはありませんと言おうが、積み上げた富を、神の国のために使うことのできない人間は、神の国を指し示す共同体には入れないと言っているのです。

 福音書の中に登場する、Jesus Movementの運動員となった徴税人や罪人や娼婦たちは、「神の掟に反して」得た「不正な富」を、神の国のために使うことのできる人たちでした。

 今から5年後、10年後、教会が神の国の共同体として生き残るためには、「不正な富」を、神の国のために使うことのできる人たちを見出し、Jesus Movementの活動家として生み、育てなければなりません。

 これを実現できるかどうかは、受洗に至る3つのパターンを破ることができるかどうかにかかっていると、私は思っています。

 戦後の教会の歴史の中で洗礼を受けるに至った人の内、少なくとも95%の人たちは、次の3つのパターンに当てはまります。

 1)「家族や親戚にクリスチャンがいる」、2)「子ども時代に日曜学校に行っていたことがある」、3)「ミッション・スクール、キリスト教主義の学校で学び、キリスト教に触れたことがある」。

 洗礼を受けてクリスチャンになったほとんどの人たちが、このどれかのパターンに当てはまります。

 マーガレット教会の場合、歴史的に女学院との関係が深いわけですから、学校の生徒や親たち、そして教職員との繋がりを大切にするということはもちろん重要です。

 しかし、聖マーガレット教会周辺の住民の9割以上、東京都の住民の9割以上の人たちは、今上げた3つのパターンに入らないはずです。

でも、その中にも、キリスト教や、聖書に関心があるという人が、少なからずいるはずです。機会があれば、教会に行ってみたいという人だって、きっといるはずです。

 受洗に至る3つのパターンに入らない多くの人たちに、聖マーガレット教会知ってもらい、教会に足を運んでもらう方法が見つかれば、その中からきっと、神の国のために、この世の富を喜んで用いる、Jesus Movementの活動家も生まれるはずです。

 10年後の聖マーガレット教会が、神の国の命の豊かさと喜びに溢れたコミュニティーであるために、3つのパターンに入らない人たちのもとへ、主が私たちを遣わしてくださいますように。