








2024年10月20日
聖霊降臨後第22主日
イザヤ53:4-12; ヘブライ人5:1-10; マルコ10:35-45
先週の逝去者記念礼拝でもお話しましたが、私は、今月3日の木曜日に、初めて東京女子大学のキャンパスに足を踏み入れました。
東京女子大学は通称「とんじょ」と呼ばれますが、実はキリスト教主義の大学で、原則として毎日、10時半から20分間、キャンパス内のチャペルで礼拝が行われています。
今回、説教者としてお招きをいただいて、学生と教職員にお話をする機会が与えられました。
東女のチャペルはレイモンドの設計で、モダンですが、非常に美しい建物です。大学の授業の一環でもなく、自由参加の礼拝なので、どんなに多くても礼拝に出席する学生は7,8人だろうと思って、礼拝開始の時間を待ちました。
ところが、礼拝が始まって、説教台に立ってみると、前から後ろまで、一杯に学生さんがいて、説教が始まっても、誰も寝ません。隣の学校の礼拝堂ではあり得ない光景で、かなり驚きました。
司式をしてくださったI先生は、日本基督教団の牧師さんで、キリスト教学を教えておられるんですが、I先生によれば、「説教題」が沢山の学生さんたちを礼拝に招くのに一役買ったとのことでした。
聖公会の教会では馴染みがありませんが、ほとんどのプロテスタント教会では、主日ごとの説教に題名がつけられます。説教題と呼ばれます。
東女の礼拝でも、聖書箇所と一緒に、説教題を提出するよう求められまして、私が選んだ題は「イエス様はパリピ」でした。
私は2017年の4月に聖マーガレット教会の牧師となりましたが、それから数年後に、「パリピ」という言葉を初めて聞きました。パリピというのは、「パーティー・ピーポー」の短縮形で、パーティーからパーティーを渡り歩くようなタイプの人のことを指す言葉です。
私はこの言葉を初めて聞いたときから、「ナザレのイエスとはどんな人かを表すのにピッタリの言葉だ」と思ってきました。
さらに、東女での説教を頼まれる何ヶ月か前に、ユースの活動を支えてくださっている70代の女性から、「先生はマーガレット教会の歴代牧師の中で、一番ホーリーじゃない牧師さん」とのコメントをいただきました。それもあって、東女での説教は「イエス様はパリピ」で行こうと思ったんです。
恐らく、日本では多く人が、「クリスチャン」とか、「教会」という言葉を聞くと、「清らかで、高貴な人々」というようなイメージを持つんだと思います。
しかし、福音書の行間を注意深く読んでみると、そこから浮かび上がるナザレのイエスという人の姿は、「清い人」でもなければ、「高貴な人」でもありません。むしろナザレのイエスという人は、「元祖パリピ」と呼ばれるにふさわしい人でした。
イエス様はパーティーからパーティーを渡り歩きました。彼が足を運ぶ祝宴の席には、徴税人、罪人、遊女たちがいました。それは、エリートたちから「あいつらは神の掟に従わない、汚らわしい連中だ!」と後ろ指を差され、忌み嫌われている人たちでした。
イエス様の生き方は「超」がつくほどスキャンダラスだったために、彼に向けられた「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」という非難と軽蔑を込めた言葉が、福音書の中に残されることになりました。
イエス様は、徴税人、罪人、遊女たちと共に集まるパーティーの中に、「神の国」が現れているのを見ていました。
イエス様が語った神の国というのは、天地創造の業のゴールです。それは、命が咲き誇り、歓喜に満ち溢れる大パーティーに向けて、神様が世界を導いていこうとしているということです。
要は、世界の向かう先は、神様が主催する大宴会なんです。そして神様は、「大パーティーの準備を手伝ってよ」と言って、私たちをここに呼ばれました。
イエス様の時代、食事の準備や給仕は、女性たちの仕事でした。支配者も、お偉いさんも、食事の準備と給仕は、「卑しい者たち」、「身分の低い者たち」のするべきことと考えていました。
ですから、この世の支配者や、お偉いさんが、自分で食卓を整え、給仕をするなんてことは、絶対にありませんでした。
今でもこの世は、自分のために贅沢な料理を作らせ、高級な衣装に身を包んだ人たちに給仕させることを成功と呼びます。それは、この世の成功者が、この世の支配者が求めるものです。
しかしイエス様は、世界の支配者とお偉いさんたちと正反対の道を行くようにと、私たちに命じます。
43節と44節で、イエス様はこう言います。「あなたたちの中の誰であれ、偉くなりたい人は、あなたたちに仕える者になりなさい。また、あなたたちの中の誰であれ、一番になりたい人は、すべての人の奴隷となりなさい。」
ここでイエス様は、この世が「成功」と見なす価値観を、完全にひっくり返しています。
イエス様に呼び集められ、神の国を指し示す共同体は、祝宴共同体です。パーティー・コミュニティーです。そして、この祝宴共同体の中で最も偉大な人は、喜んでパーティーの準備をし、給仕をしてくれる人たちです。
マーガレット教会は今日の午後12時半からバザーを開催しますが、それは祝宴共同体としての姿を、訪れる方たちに示す機会です。
毎年のことですが、マーガレット教会のバザーは、日曜学校の保護者の方たちがいなくては成立しません。
祝宴の準備に共に携わってくださるお一人お一人に、心から感謝をいたします。
バザーは年に一度ですが、今後は聖マーガレット教会の中で、人々を招き、共に喜び、楽しみ、平和を味わう「小さな祝宴」の機会を、増やしていければと願っています。
そして、小さな祝宴の場に集まってくれる人たちの中から、神の国の大パーティーを準備したいと思う人たちが起こされる。それこそ私たちが進んでゆくべき方向だと、私は思っています。
ナザレのイエスを通して、神の国の大パーティーこそ、世界のゴールであることを示された神が、祝宴共同体として、整マーガレット教会を成長させてくださいますように。
