











2024年10月27日(日)特定25主日
エレミヤ31:7-9; ヘブライ7:23-28; マルコ10:46-52
私は今日、今朝の福音書朗読と重ねて、自分自身の「バルテマイ体験」についてお話をさせていただきます。
私は、非常に保守的なドイツの宣教団が戦後に開拓伝道をして建てた、いわゆる福音派の教会で洗礼を受けて、クリスチャンとしての歩みを始めました。
その教会の聖書の読み方は、100%ファンダメンタリストでした。ファンダメンタリストは、「聖書には誤りがない」と主張して、聖書に描かれているエピソードをすべて「歴史化」します。
要は、聖書の中に物語が出てくると、そこに描かれていることをすべてそのまま、過去に「起きたこと」か、未来に「起こること」として読むわけです。
実は、「ファンダメンタリズム」を生み出したのは、クリスチャン・シオニズムの生みの親であり、1948年に誕生したシオニスト国家イスラエルの生みの親でもある、John Nelson Darby その人です。
私が最初に行った北海道の神学校も、福音派の神学校で、聖書の読み方も完全にファンダメンタリストでした。
新約聖書の概論的な授業の中で、「黙示録」を扱ったときに、担当教員がこんな風に話していたのを、今も覚えています。
「誰も、イスラエルという国が復興されるとは思っていなかったけれども、黙示録に預言されているように、イスラエルが回復された」。
これは、「イスラエル」がパレスティナに建国されたことは、神の御心であり、聖書の預言の成就であり、「聖書が誤りなき神の言葉」であることの証拠だという主張です。
その頃の私は、自分自身もファンダメンタリスト的聖書理解の中にどっぷりと浸かっていたために、聖書のテキストを歴史的文脈の中に位置付けることも、言語学的に何を意味し得るかを検証することもできませんでした。
結果的に、ほとんど無意識に、旧約聖書の中に出てくる「イスラエル」と、1948年に大英帝国の植民地政策の産物として現れた「シオニスト国家イスラエル」とを、同一視していました。
私は聖書のテキストに対して盲目で、何も見えない、クリスチャン・シオニストでした。
私の目が、少しずつ開かれていったのは、上智大学の神学部に在籍しているときでした。
大学在籍中、20世紀最大の聖書学者の一人、ジェイムス・バー (James Barr) という人が書いた 『ファンダメンタリズム』(Fundamentalism) という本を読みました。この本との出会いが決定的な転換点となって、私は福音派のファンダメンタリスト的聖書理解を捨てました。
けれども、聖書理解が変わったからといって、私の中にあったクリスチャン・シオニスト的要素が、瞬間的に無くなったわけではありません。
教会生活や神学教育という文脈の中で、「ホロコースト」(ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺)については、度々話を聞いてきました。
ところが、教会生活の中でも、神学校の教育プログラムの中でも、私は「ナクバ」という言葉を、一度たりとも聞いたことがありませんでした。
「ナクバ」は「大災難」を意味するラビア語ですが、シオニスト国家イスラエルの建国前夜から始まり、現在に至るまで続く、パレスティナ人の苦難を指して用いられます。
1948年4月9日、シオニスト・ユダヤ人テロ組織が、デイール・ヤシンというパレスティナの村を襲撃しました。250人の女性と子どもたちが裸にされて並ばされ、その姿を写真に撮られた後、マシンガンで銃殺されました。
同様の襲撃が次々と繰り返され、パレスティナの12の街と500以上の村が破壊され、全パレスティナ住民の3分の2に当たる、75万人もの人々が、家を追われ、土地を奪われ、難民となりました。
1948年5月15日に建国を宣言されたシオニスト国家イスラエルは、大英帝国とクリスチャン・シオニストとシオニスト・ユダヤ人によって、文字通り、民族浄化の上に建てられました(民族浄化は今も続いています)。
私がこの「ナクバ」について初めて話を聞いたのは、大学院の法哲学や政治哲学系のゼミの中でした。パレスティナ問題に触れるようになったのも、そのときのことです。
パレスティナ難民という言葉は知っていたし、大学院のゼミではパレスティナ系アメリカ人哲学者のエドワードー・サイード (Edward Said) も、ユダヤ人哲学者レヴィナス (Levinas)もチョムスキーも読んでいました。
ゼミの教授からも、シオニスト国家イスラエルが、パレスティナ人に対してどれほど酷いことをしているかを聞いていました。
それでも私の中では、パレスティナ問題に対する関心はまったく大きくならず、シオニズムの巨悪に対しても、その悪を生み出した教会の深い闇に対しても、まったく盲目のままでした。
大学院時代の私の中には、ファンダメンタリスト時代の亡霊が生き続けていて、ユダヤ人は聖書に出てくるし、パレスティナ人に優先されるべきだと思っていたんです。
その時の私は、バルティマイの叫びを封じようとした人々と同じです。
私は、パレスティナ人の苦しみに対して目が開かれることよりも、ユダヤ人を不快にさせるパレスティナ人を黙らせることが重要だと思い込んでいました。
「ナクバ」が話題になったら「ホロコースト」に話をすり替え、ユダヤ人を被害者として描き続けることで、パレスティナ人の叫び声を封じる。それは、Norman Finkelstein というユダヤ人社会学者が、ホロコースト・インダストリー (Holocaust Industry) と呼ぶもので、シオニスト国家の悪事を正当化するための手法として、今も使われ続けています。
そのホロコースト・インダストリーに、私も加担してきました。
キリスト教そのものに内在する深い闇に光が差し込み、教会が行ってきた巨悪に対して、私の目が本当に開かれたのは、わずか4年前のことでした。
今日の福音書朗読のバルティマイの姿は、故無き苦しみと絶望の中に置かれ、希望の光が見えないすべての人々を象徴しています。
バルティマイの叫びを止めようとする人々の姿は、苦しみの叫びが聞こえないふりをし、苦しむ人々を無視して、盲目のままでいたいという私たちを象徴しています。
今日の福音書朗読の中で盲目なのは、実はバルディマイだけではありません。バルティマイを黙らせようとする人々も盲目なのです。
しかし、この2種類の盲目には、決定的な違いがあります。バルティマイを黙らせようとする人々は、見ることを拒否して、盲目であることを選ぶ人々です。
それは、自分の心が掻き乱されることを避け、何ごともないかのように生活をするために、不都合な真実に目を閉ざす盲目です。
しかし、ナザレのイエスは、バルティマイのところにいます。故無き苦しみと絶望の中で、未来に希望を持てない人のところに、イエス様はいます。
ナザレのイエスによって目が開かれるということは、それまで見えなかったものが見えるようになるということです。それまで見えなかった苦しむ人々の姿が、人々を苦しませる悪の力が、見えるようになるということです。
イエスによって目が開かれたら、見たくないものが見えるようになるわけです。
「見たくないものが見えるようになったって、私たちはイエス様じゃないんだから、盲人の目を開けることなんかできない。」そう言いたくなるかもしれません。
でも、もしかすると、それも、バルディマイを黙らせるための方便かもしれません。本当は、私たちにできることは、少なくないのかもしれません。
私たちが、本気でナザレのイエスに従って、彼が語った神の国の福音を生きようとしたら、できることは沢山あるんではないでしょうか。
今日、この時も続いているガザのジェノサイドは、数年後には、歴史的出来事として語られるようになります。
その時、私たちの誰一人として、「知らなかった」とは言えません。
なぜなら、ガザの虐殺は、私たちが盲目でいることをあえて選択しない限り、見ずには済まない現在進行形の出来事であり、歴史上、もっとも完全な記録と資料によって裏打ちされた虐殺事例だからです。
今すぐに私たちにできることはなくても、ガザのために、パレスティナの未来のために、私たちにできること、するべきことは、きっと沢山あるはずです。
バルティマイの声を聞いてイエス様が立ち止まったように、私たちも、闇の中に、絶望の中に捨て置かれた人たちの声に、立ち止まる者でありたいと思います。
故無き苦しみの中で絶望し、深い闇の中に沈む人々の目を、希望の未来に向かって開くために、イエス様によってバルティマイの目を開かれ神が、私たちをも用いてくださいますように。
