










11月24日(日)降臨節前主日
ダニエル 7:9-10,13-14; 黙示録 1:4b-8; ヨハネ 18:33-37
今日は、教会の暦の上では、今年最後の日曜日です。今日の特祷も、聖書朗読も、教会のカレンダーの最後が、「王なるキリストの帰還」という終末論で閉じられていることを示しています。
教会暦は、終末論で始まり、終末論で締めくくられるように作られているんですが、教会暦の始まりであり終わりである終末論は、教会が生み出した最も深い闇でもあります。
第三次世界大戦一歩手前の現在の世界の状況も、迷信的終末論によってもたらされました。更にそれを深刻化させているのも、迷信的終末論を掲げる教会です。
今日の特祷にはこのようにあります。「あなたのみ旨は、王の王、主の主であるみ子にあって、あらゆるものを回復されることにあります。どうかこの世の人びとが、み恵みにより、み子の最も慈しみ深い支配のもとで、解放され、また、ともに集められますように」と。
しかし、教会の歴史を振り返りつつ、今の世界の現実を直視するならば、権力体制と結びついたキリスト教が、回復ではなく破壊を、解放ではなく死をもたらしていることは明らかです。
さらに、私たち聖公会の受け継いだキリスト教は、「入植による植民地化プロジェクト」(Settler Colonialism)と、密接に結びついたキリスト教です。
アングリカン・コミュニオンそのものが、大英帝国の植民地から生まれたという歴史的事実が、そのことを物語っています。
私たちは、この1年の最後の日曜日に、権力体制と結びついたキリスト教の終末という現実に、目を向けたいと思います。
インターネット上でイギリスの宗教動向を調査しているFaith Surveyは、Church of Englandが2033年で、実質的な終わりを迎えるとの予測を出していました。
しかし、現在進行形のパレスティナ問題に対する教会の態度や、Justin Welbyカンタベリー大主教の辞任に発展した性的虐待に対する教会の対応は、Church of Englandの衰退を加速させています。
11月21日の木曜日には、国際刑事裁判所(ICC)はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、ヨアヴ・ガラント前国防相、そしてハマスのモハメド・デイフ司令官に対して逮捕状を出しました。
この3人に対する逮捕状を巡る、直接・間接の当事者たちの反応には、非常に興味深いものがあります。
国際刑事裁判所から逮捕状が出たことを真っ先に歓迎したのは、「テロリスト組織」として西洋諸国から批判されているハマスで、こう声明を発表しました。
「シオニストの戦争犯罪人であるネタニヤフとガラントに裁きを受けさせるため、裁判所 (ICC)に協力し、ガザ地区の無防備な民間人のジェノサイド(大量虐殺)という犯罪を阻止するために直ちに取り組むよう、世界中のすべての国に求める」。
逆に、真っ先に国際刑事裁判所の判決に猛反発をしたのは、イスラエルと、プーチンに対して逮捕状が出された時には両手を上げて歓迎したアメリカです。
ちなみに、アメリカもイスラエルも、ICCに加盟していません。
「テロ組織」と批判されるハマスが国際刑事裁判所の判決を歓迎し、「国際法による平和の実現」を謳うアメリカが猛反発をしている。
ここにも、西洋を中心とした世界秩序という偽善が、終焉を迎えたことが表れています。
誤った終末論に基づいた、教会と世俗権力との相互依存関係が終焉を迎え、権力と癒着した教会が崩壊することは、悲しむべきことではありません。
それはむしろ、負の遺産を処理して、十分に進められてこなかった、教会の脱植民地化を一気に加速するチャンスです。
これを実現するためには、「どんなイエス・キリストを宣べ伝え」、「どのようにして神の国を指し示す共同体となるか」と問いながら、絶えず、ナザレのイエスに帰ることが必要です。
教会がJesus Movementである限り、教会の共同体としての歩みは、ナザレのイエスに、彼の語った神の国の福音に根ざしていなくてはなりません。
そのためには、ナザレのイエスという方を知らなくてはなりません。 私たちがどのような「イエス・キリスト」を信じ、どのように神を理解するかということが、教会のあり方を変えます。
どれほど多くの市民を殺害しようが、ありとあらゆる国際法違反を犯そうが、「イスラエルに対する神の祝福は変わらない」。アメリカの多くの教会が、そう信じています。
彼らは、「神はある特定の人種や民族を選び、彼らを通して神の敵を滅ぼされる」と信じています。
そして彼らの信じるイエス・キリストは、ネタニヤフと共にいて、イスラエルの領土拡大を喜ぶ抑圧者です。
しかし、もし私たちが、ナザレのイエスは、罪人たちと共に食事をし、彼らを自分の家族と呼んだこと本当に知ったなら、そして彼が示した「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」恵みの神を信じるなら、私たちは偽りのイスラエルをイスラエルだと思うことも、その領土拡大を後押しするようなこともないでしょう。
先々週、15日の金曜日のことですが、本来であれば学校勤務の日だったんですが、ひどい鼻声になった上に、一旦咳き込むとしばらく咳が止まらない状態になって、仕方なく教会で大人しくしていることにしました。
そうしましたら、午後の1時過ぎ頃に、一人の男性が訪ねてこられました。顔に見覚えはあったんですが、あまりお話ししたことはない方でした。 しばらくお話を聞いているうちに、ご兄弟が亡くなられた時にマーガレットでご葬儀をされて、逝去者記念式と諸聖徒日の礼拝に来ておられる方だということがわかりました。
この方は映画監督をされていて、最近は、パルコの地下にあるUPLINK吉祥寺という小さな映画館で、パレスティナ関連の映画を上映し、トークイベントの企画もなされています。
11月2日に行われた諸聖徒日の礼拝の中で、私がパレスティナ問題に触れたので、一度話をしてみたいと思い、UPLINK吉祥寺で上映している映画のチラシを持って、電撃訪問をされたとのことでした。
1時間ほど、パレスティナ問題について話をしている間に、私はクリスチャン・シオニズムの問題に触れました。
政治的シオニズムに先立ってクリスチャン・シオニズムがあり、クリスチャン・シオニストこそ、イスラエルの暴虐を可能にしているんだとお話をしました。
すると彼は、「今までそんな話はまったく聞いたことが無かったし、どうしてアメリカの福音派と言われるクリスチャンたちが熱狂的にイスラエルを支持しているのかもわからなかったけれども、初めてその理由がわかりましたと」言われました。
そして、停戦になるまで、映画の上映もトークイベントも続けるので、いつかトークイベントで話をしに来てくださいとのお誘いをいただくことになりました。
話が終わってその方が帰られた後、私は、この出会いのために、神様が私を寝込ませたのかなと思いました。
トークイベントで私が話をするときに、どんな方が聴きに来てくださるのかはわかりません。
でも、そこからまた新しい出会いが生まれて、その出会いから新しい何かが始まるんじゃないかという予感はします。
そして神様は、その新しく始まる何かを、世界の進行方向を変える小さな力としてくださる。そう私は思っています。
私たちは、破壊と、死をもたらすキリスト教に代わって、平和を作り、死を超える命の希望をもたらす新しい福音の物語を必要とする、終末の時に生かされています。
願わくは聖霊の息吹が、平和を作るために共に働く仲間たちとの出会いへと私たちを導き、新しい福音の物語を生み出し、生きる者としてくださいますように。
