復活日 説教

2025年4月20日(日)復活日

使徒10:34-43; Iコリント15:19-26; ルカ24:1-12

 イースターの喜び。死から新しい命へと起こされたナザレのイエスを通して示された希望。

 それが何か、一言で言えば、「私が始めた天地創造の業は、死ではなく、命で終わるのだ!」という、神の宣言です。

 この世の支配者は、ナザレのイエスを始末すれば、彼が宣べ伝え、推し進めた「神の国」のヴィジョンを終わらせることができると思っていました。

 しかし、この世の支配者が、イエス様を十字架にかけて殺すことによって終わらせたと思ったものを、神は終わらせませんでした。

 新たな命に起こされたナザレのイエスは、彼の宣教活動を支え、神の国の土台を据えた女性たちの前に現されました。

 男たちは、女性たちの仲介によってはじめて、死から新しい命に起こされたイエス様に会うことができました。

 これは、神ご自身が、ナザレのイエスが語った神の国のヴィジョンを承認する出来事でした。

 イエス様の神の国は、2つの角の親石の上に、まったく新しい共同体を築くプロジェクトです。1つの角の親石は、「食卓を整え、給仕をすること」です。

 もう1つの角の親石は、「互いの足を洗うこと」、つまり人が一番したくないと思うようなことを、人のためにすることです。

 イエス様と男の弟子たちのために、食卓を整え、給仕をし、彼らの宣教活動を支えたのは女性たちでした。イエス様の足を洗ったのも、女性だけです。

 イエス様は、男の暴力と野心と貪欲が支配するところには、喜びも、平和も、本当の豊かさもないことを、女性たちから学びました。

 そして、神の国は、「共に食卓を整え、給仕すること」と、「互いに足を洗い合う」ところに現れるんだということを確信しました。

 そして、彼に従うすべての者たちに、「女性たちに倣う」ことを命じました。ですから、神の国のヴィジョンを生きるということは、ナザレのイエスを支えた女性たちに倣うということなんです。

 今日、11時の礼拝の中で、5名の方たちが洗礼を受けます。復活日に、5名の方を聖マーガレット教会のメンバーとして迎えることができる。それは大きな喜びであり、感謝なことです。

 もちろん、聖マーガレット教会の中には、洗礼を受けていない仲間たちも沢山います。

 洗礼を受けてはいなくても、教会との繋がりをもち、様々な活動に関わってくれる仲間がいることは、感謝であり、喜ばしいことです。

 しかし、いつもお話ししているように、教会はJesus Movementです。ナザレのイエスが語り、生きられた、神の国のヴィジョンを生きようとする共同体です。

 神の国のヴィジョンを生きようとする人がいなければ、教会は教会であることができません。

 ですから、Jesus Movementの共同体の一員となって、イエス様の名によって集められた仲間たちと共に、神の国のヴィジョンを生きることを願う受洗者が与えられるということは、教会にとって特別な喜びなのです。

ナザレのイエスを死から新たな命へと起こされた神が、神の国のヴィジョンを生きるコミュニティーとして、私たちをますます成長させてくださいますように。