聖霊降臨後第16主日 説教

2025年9月28日聖霊降臨後第16主日
アモス書6:1a,4-7; Iテモテ6:6-19; ルカ16:19-31


今朝の福音書朗読は、金持ちとラザロの物語りです。この話しの趣旨は単純明快で、まったく誤解の余地はありません。

金持ちは神の国に入れない。そう言われていることは、誰の目にも明らかです。

厳密に言えば、この物語は、イエス様自身が語ったものではありません。
金持ちとラザロの物語りは、死後の世界を舞台に展開します。死後、ラザロは神の使いたちに担われてアブラハムの懐へと連れて行かれ、金持ちは陰府の燃えさかる炎の中に放り込まれて悶え苦しみます。


しかし、イエスが到来を宣言した神の国は、死後の話しとまったく関係がありません。神の国を死後のなんらかの報いと結びつける言説は、後の教会が生み出したものです。


金持ちは神の国に入れないんだと断言する物語が、イエス様の語ったものではないと聞いて安心した、という方もおられるかもしれません。でも、このルカ福音書の物語の中には、間違いなく、神の国に対するイエス様の確信が響いています。


イエス様は、富を積み上げ、それを自分と身内のために使うことしか考えていない金持ちを、神の国の到来を妨げ、神に抵抗する者とみなしていました。それは、この言葉に、最も単純に表されています。


「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」(ルカ8:24, 25)


この言葉はイエス様自身のものです。当時のユダヤ人社会の中で、こんなことを言う人は、イエス様以外に、誰もいませんでした。富の蓄積は、神の祝福だと見なされていたからです。


そうしますと、今日の福音書朗読で読まれた物語が、直接にイエス様が語ったものではないとしても、自分と身内のために富を積み上げる金持ちを、イエス様が神の国の敵と見なしていたことは、否定しようがありません。

では、なぜ「金持ち」は神の国の敵なのでしょうか?なぜ、神の国に入れないのでしょうか?

それは、彼らが金を持っているからではなく、金を手放さないからです。金を手放せない金持ちは、神の国の到来そのものを妨げる存在です。金を手放せない金持ちは、神の国が来ないようにするんです。

「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカ6:20)という言葉に表れているように、イエス様が語る神の国では、貧しい者たちが最初に招かれて、祝宴の席に着きます。


神が造られた世界の富を、不正に積み上げて金持ちとなった者たちが、その不正な富を手放すことによって、神の国はこの世に現れ始めます。

イエス様が語った神の国は、霊の世界の話しでも、死後の世界の話しでもなく、金持ちが不正に蓄えた富を吐き出して、貧しい者たちを招いて共に食事をするとき、そこで始まるんです。


そして、イエス様の宣教活動を支えたのは、神の国の福音を聞いて、神の国のために不正な富を使うようになった金持ちたちでした。


神の国は、イエス様と共に、すでにこの世で始まっています。イエス様が「罪人たちと」囲んだ食卓において、それは始まりました。

では、イエス様から神の国の福音を聞いて、この世に神の国を出現させるために不正な富を手放した金持ちと、今日の物語に登場する金持ちとを分けているものは何でしょうか?


それは無関心と無慈悲です。この金持ちは、ラザロの貧しさに、ラザロの病に、ラザロの苦しみに無関心です。
この金持ちは、ラザロを人としてではなく、自分のために使える道具としてしか見ていません。

さて、今、私たちの前には、見て見ぬふりをできないラザロがいます。それはガザです。パレスチナです。


パレスチナの人々は、世界の金持ちたちが、無視を決め込み存在しないかのように扱い、富を蓄積するために利用し続けてきた、ラザロです。


四半世紀前までであれば、このラザロの姿が、私たちの前に現れることはなかったでしょう。しかし今はSNSの時代です。世界中の苦しみが、私たちの生み出している悲劇が、すべて見える時代です。


人々を犠牲にしながら、豊かさや、偽りの平和を享受していることが、もはや隠せない、そういう時代に私たちは生きているということです。


多くの人々は、他者の苦しみに目を塞ぎ、あるいは苦しむ人々を非人間化することで、心の平安を守ろうとしています。しかし、それ以上に多くの人々が、この世の悪によって苦しむ人々の姿を目にして立ち上がり、自分たちのできることを始めています。


飢餓に苦しむガザの人々を尻目に、9月17日の水曜日には、チャールズ3世とカミラ王妃が主催する晩餐会がイギリスで行われました。


この晩餐会には、トランプ夫妻の他に、ティム・クックApple CEO、サム・アルトマンOpenAI CEO、ルース・ポーラットAlphabet(Googleの親会社)CFO、メディア王ルパート・マードック、BPやShellのCEOといった超富裕層160人が招かれていました。


しかし、パレスチナをラザロとしてきた者たちの集う晩餐会の会場となったウィンザー城の外には、多くの市民が抗議活動のために詰めかけました。


西洋諸国の政治家たちが虐殺を黙認する中で、46カ国の市民が、命の危険を犯して小舟に乗り込み、ガザの封鎖を破ろうとしています(Global Sumud Flotilla)。今も、飢餓状態にある人々に届ける食料を積んだ56隻の舟が、ガザを目指して航海を続けています。


体制化した教会が、針の穴を広げて、ウィンザー城の晩餐会に参加した者たちを神の国にねじ込もうとしている中で、教会に愛想を尽かした市民たちは、自分たちの富を犠牲にして、ラザロとなったパレスチナのためにできることをすでに始めています。


無力な者たち、小さな市民が、互いに結びつき、小さな波が重なって大きくなり、それは大きなうねりとなって世界の進路を変えます。


実は、この教会にも、与えられた恵みと祝福を、他者のために用いることのできる人が、少なからずいます。
不正な富を、人知れず、神の国の働きのために捧げている人がいます。私はそこに大きな希望を感じています。

私たちは後ろめたさを感じなくなったとき、憐れみの心を失います。


悪の現実を、人々の苦しみの現実を見つめて、後ろめたさを感じることは、とても大切なんです。うしろめたさから自由になってはいけません。後ろめたさから生まれる「何かをしなくちゃ」という思い、そこから何かが起こるんです。


ナザレのイエスによって始まった神の国は、すべての人が神によって招かれ、共に飲んで、共に食べて、心から喜ぶ祝宴です。この神の国を、今、ここで、世界の中に引き入れ、成長させるために、私たちは呼ばれました。


そして今日、神様の呼びかけに応えた一人の仲間が、私たちの共同体に加えられようとしています。それは聖マーガレット教会教会が、Jesus Movementとしてまだ生きている証拠です。

聖マーガレット教会が、新しい仲間と共に、神の国をこの世に引き入れるコミュニティーとして歩み、成長していくことができますように。