聖霊降臨後第18主日 説教

2025年10月12日(日)聖霊降臨後第18主日

列王記下 5:1-3,7-15c; IIテモテ2: 8-15; ルカ17:11-19

先週、10月3日の金曜日、ジャスティン・ウェルビィ(Justin Welby) 前カンタベリー大主教の退位によって空位となった、カンタベリー大主教職の後継者が決まりました。

第106代カンタベリー大主教として指名されたのは、2018年からロンドン教区主教を務めるサラ・ムラリ(Sarah Mullally)です。

 2018年にロンドン教区初の女性主教となった彼女が、今度は1,400年を超えるカンタベリー大主教座の歴史の中で、最初の女性カンタベリー大主教となることになったわけです。

 ちなみに、サラ・ムラリが正式にカンタベリー大主教として着座するのは、来年の春になります。

 16歳の時にクリスチャンとなった彼女は、ガン看護を専門とする看護師としてキャリアを始めます。

 そして37歳の時、史上最年少で、NHS (National Health Service)の首席看護官 (Chief Nursing Officer for England)に任命されました。

 NHS (National Health Service) はイギリスの公的医療・看護・保険の制度で、首席看護官というのは、日本で言うと厚生労働省の局長クラスということになります。

 彼女は2001年9月に執事に、翌年10月に司祭として按手された後も、2004年まで首席看護官としての働きを続けました。

 597年にカンタベリーのアウグスティヌスによってカンタベリー大主教座が創設されてから、約1430年におよぶ歴史の中で、初めて女性がカンタベリー大主教として指名された。

 この知らせを受けて、女性が按手を受けた奉仕職に就くべきではないと主張する伝統主義者からは、「伝統からの逸脱だ!」という批判の声が上がりました。

 しかし、今日の福音書朗読の物語は、聖書と伝統の権威をふりかざして正しさを主張する人に対する大きな警告だと、私は思います。

 この物語の場面設定は、歴史批評的に言うと、極めて奇妙です。

サマリアは南のエルサレムと北のガリラヤとを隔てる中間地域です。ですから、サマリアとガリラヤの「間」を通って、エルサレムに行くことはできません。北のガリラヤから南のエルサレムに行くには、サマリアを「突っ切って」行かなくてはなりません。

 「規定の病」と訳されているのは「レプラ」と呼ばれる病気で、この病にかかった人は共同体から切り離されて、街の外に放り出されます。そして、隔離された場所で生活をしなくてはなりませんでした。

 しかし、サマリア人のレプラの患者は、サマリア人のサマリア人の村や街から追い出されて、隔離生活をします。サマリア人のレプラ患者が回復したかどうかを確認するのは、ゲリジム山で仕えるサマリア人祭司たちです。

ユダヤ人のレプラ患者は、ユダヤ人の村や街から追い出されて、隔離生活をします。ユダヤ人レプラ患者が癒やされたかどうか確認するのは、エルサレム神殿に仕えるユダヤ人祭司たちです。

 レプラにかかったからといって、ユダヤ人とサマリア人が「一緒に生活する」なんてことには絶対にならないし、ユダヤ人とサマリア人の元レプラ患者を、同じ祭司が診ることもありえません。

 ですから、今日の物語も、歴史的な出来事ではありません。そこに書かれていることが、その通り実際にあったわけではありません。

 しかし今日の福音書朗読の物語の背後には、サマリア人のJesus movement共同体が存在したという、驚くべき歴史があります。

 主流派のユダヤ人に、ほとんどのユダヤ人に退けられたナザレのイエスが、サマリア人に受け入れられるという、まったく想定外のことが起きたんです。

イエス様の時代にも、その後の時代にも、ユダヤ人とサマリア人との間には、大きな憎悪がありました。サマリア人とユダヤ人が同じ場所に居合わせたら、必ず流血騒ぎになりました。

 ユダヤ人とサマリア人は絶対に友だちになれないし、一緒に飯を食って、共に一つの運動を展開するなんてことは、まったくありえないことでした。

 ところが初期のJesus Movementの中で、ありえない事が起きてしまいました。

 ユダヤ人だけの運動だと思っていたものの中に、サマリア人が一緒にいる!それはユダヤ人のいかなる伝統に照らしても、絶対に正当化できない変化でした。

 ルカ福音書の著者は、ユダヤ人の伝統によって正当化できないこの激変を、イエス様に正当化してもらうために、今日の物語を書いたんです。

 そもそも、イエス様の語ったことも、イエス様の生き方も、ユダヤ人の伝統によって正当化できるようなものではありませんでした。

 伝統からのあまりの外れっぷりの故に、イエス様はユダヤ人社会を転覆させてしまう危険人物として、十字架の上で始末されることになりました。

 しかしイエス様が語った神の国は、伝統が作り出した敵意と隔ての壁が壊されていくところにこそ現れます。

 歴史批評(historical-critical method)という研究方法に基づいて発展した聖書学という学問は、聖書が人間の書物であることを明らかにしてくれました。

 そして、絶対性を主張するすべての伝統にも歴史があって、本当はそれほど絶対的なものじゃないんだということに気付かせてくれました。

 しばしば「私は女が教会で教えることを許さない」というパウロの言葉を振り翳して、「だから女性が按手された奉仕職につくことは許されない」と言われます。

けれども、「女が教会で教えることは許さん」という言葉は、実際に教会で教えている女性がいたから発せられました。

 更に、よくよく新約聖書のテキストを読んでみると、初期のJesus movementの中には、沢山の女性指導者がいたことがわかります。

 マグダラのマリアは、Jesus Movementの起源に位置する女性リーダーであり、使徒たちに対する使徒です。

 ユニアも使徒たちの一人に数えられています(ローマ16:7)。

 フィベ(ローマ16:1-2)、プリスカ(ローマ16:3; 使徒18:26)、リディア(使徒16:14-15, 40)、エボディア、シンティケ(フィリピ4:2)はパウロの同労者であり、女性リーダーでした。

 使徒言行録21章9節の、フィリポの「預言をする4人の未婚の娘」たちは、間違いなく、教える人たちでした。

 さらにテルトゥリアヌス、オリゲネス、クリュソストムスといった初期教父の著作は、4世紀に至るまで、女性を按手する教会が存在したことを示しています。

彼らは、按手を受けた女性リーダーたちを「娼婦」と呼び、女性を按手する教会を異端として徹底的にディスりました。教父たちの努力とローマ帝国との結託の結果、女性リーダーたちは教会から消えていきました。

 これはJesus movementにとって喜ばしい展開だったのでしょうか?教会が進むべき、正しい方向だったのでしょうか?

 むしろ、それは損失であり、教会が進路を誤ったということなのではないでしょうか?

 サラ・ムラリがカンタベリー大主教に指名された。この出来事は、イングランド聖公会が帝国主義と植民地主義の遺産から解放されて、Jesus Movementとして再出発するための、大きな一歩となりえるのではないでしょうか?

 私たちも、ナザレのイエスに倣って、敵意と抑圧と排除の伝統をぶっ壊して、神の国の平和と祝宴の喜びをこの世に現す群れとして歩んでいきたいと思います。