







2025年10月19日(日)聖霊降臨後第19主日
創世記 32:23-32; IIテモテ3:14-4:5; ルカ18:1-8
今日の第2朗読で読まれた『テモテへの手紙(二)』の著者は、読者に向かって、「あなたは、自分が学んで確信した事柄にとどまっていなさい」と命じます。
この手紙の著者は、信仰が変わること、変えられることを、否定的なこととして捉えているわけです。
ところが、ほんの少しでも、批判的精神をもって教会の歴史を振り返れば、キリスト教の内容は、世界の変化に呼応して変わり続けているということがわかります。
そうです。キリスト教の中身は、変わり続けているんです。
今日の福音書朗読箇所を簡単に分析しますと、イエス様自身が語った物語は、2節から5節までの部分です。
1節と、6節から8節の部分は、ルカ福音書の著者が設定をした解釈の枠組みです。
2節から5節の物語が、もともと「何について」語っていたのか、私たちにはわかりません。
イエス様が発した言葉や、彼の語った物語が、どのような文脈の中で語られたのか、厳密に言えば、誰にも分かりません。
ルカ福音書の著者は、2節から5節までの物語を、終末論に結びつけて「解釈」しました。
神をも恐れず、人を人とも思わない裁判官ですら、金も権力も特権もない無力なやもめに四六時中つきまとわれて、うっとうしくてかなわなくなったら、厄介払いのために、やもめに有利な判決を出してくれるだろう。
ましてや、正義の源である神は、イエスに倣う者たちが裁きを求め、「イエス様、すぐに帰って来てください!」と祈り続ければ、その祈りを聞いてくださるに違いない。
ルカ福音書の著者は、イエス様が語った物語を、そのように解釈したのです。
しかし、イエス様が帰って来ないまま1,900年以上も過ぎた世界に生きる私たちは、2節から5節の物語を、ルカ福音書の著者のように解釈することはもうできません。
というよりも、それはもはや、私たちにとっては無意味な解釈です。
私たちも、この時、この世界の現実に向き合いながら、イエス様が語った物語を、彼が宣べ伝えた神の国、新しい世界のヴィジョンと照らし合わせながら、再解釈をする必要があります。
イエス様の語った神の国から、終末論的要素が完全に消え去ることはありません。
けれども、イエス様が神の国として語った新しい世界は、ファンダメンタリストや福音派の人たちが思っているように、この世界の破滅によって到来するものではありません。
それはむしろ、この宇宙の始まりに、宇宙の種の中に組み込まれていて、成長するものです。私たちは、その成長を促すために、神の協力者として招かれています。
では、神の国を成長させるために、新しい世界の到来のために、神の協力者として、私たちがするべきことは何でしょうか?
それは、今日の物語の主人公である「やもめ」になることです。
やもめは、社会的に最も弱く、貧しく、抑圧された者たちを象徴する存在です。
私たちは、神をも恐れず、人を人とも思わない政治家や、役人や、経済人に徹底的につきまとって、うっとうしい思いをさせることによって、やもめのために、貧しい者、抑圧された者のために、「寛大な措置」を引き出すのです。
そんなことが可能なのか?そう思われる方もあるでしょう。答えは「Yes」です。
皆さんは、この世の支配者の要求に対して、権力者からの政治的圧力を前にして、1世紀から2世紀のJesus Movementが展開した、最大の政治的抵抗運動をご存知ですか?
それは皇帝崇拝の拒否です。ローマ皇帝は、神をも恐れず、人を人とも思わない裁判官の権化でした。
しかし最初の2世紀の間、イエスに倣う者たちは、支配者を神とすることを、権力者を絶対的な存在とすることを、決して受け入れませんでした。
権力と金を求める者たちの間で、悪の力は巨大化し、自分たちの不正を正当化するために、彼らは自分たちへの絶対的服従を要求します。
それは今現在も起こっていることです。「現実主義」を掲げる国際政治学者の権威、John Mearsheimerは、トランプとネタニヤフを、ニュルンベルク裁判で絞首刑判決を受けるレベルの戦争犯罪者だと断言します。
私たちは、戦後最悪の戦争犯罪者が、自分たちへの絶対的服従を要求する世界に生きているわけです。
しかも、この国の政権与党とその党首も、戦争犯罪者への従属をますます深めようとしています。
今、この時は、皇帝崇拝を拒絶する時です。戦争犯罪者たちが要求する絶対的服従を退ける時です。
彼らに安らぎを与えてはなりません。服従を拒否し、つきまとい、声を上げ、うっとうしい思いをさせ、抑圧された者、貧しい者のために働けと言い続ける時です。
それはイエスに倣う者たちが、この世の支配者に対して果たすべき、政治的アクションです。
恣意的な判断を振りかざし、聖マーガレット教会の韓国出身の仲間に対して在留許可を認めなかった入管や、排外主義を支える政治家や役人に対して声を上げ、つきまとい、不正を追求し続け、うっとうしい思いをさせなくてはなりません。
神社仏閣の収入源となるお守りや絵馬やおみくじや、ありとあらゆる霊感商法を非課税にしながら、教会のバザーに課税をして税収を上げようとしている税務署の恣意性を晒し、霊感商法を支えてきた彼らの「実績」を告発し、チャリティーという言葉の意味を学ばせなくてはなりません。
ナザレのイエスに倣い、神の国を成長させる働きへと召された私たちが、神をも恐れず、人を人とも思わぬ者たちに面倒がられ、うるさがられる「やもめ」であれますように。
