









2025年11月2日聖霊降臨後第21主日(特定26)
イザヤ1:10-18; IIテサロニケ1:1-4,11-12; ルカ19:1-10
福音書の中には、徴税人という言葉が、度々出てきます。
イエス様の弟子の中に徴税人がいたことも、イエス様が徴税人たちと共に食事をしていたことも、よく知られています。
「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」(ルカ7:34)という悪口も、イエス様の周りに、沢山の徴税人がいたことを証ししています。
徴税人たちは、ユダヤ人社会の中で最も嫌われ、憎まれ、軽蔑される存在でしたが、今日の物語の主人公ザアカイは、徴税人の頭だったと言われています。
徴税人たちが嫌われ者集団だとすれば、「徴税人の頭」(‘ἀρχιτελώνης’ )であるザアカイは、嫌われ者の中の嫌われ者ということになるでしょう。
ちなみに、この「徴税人の頭」(‘ἀρχιτελώνης’ )という言葉は、ルカ福音書の、今日の箇所にしか出てきません。
徴税人がユダヤ人社会の中で嫌われ、憎まれ、軽蔑されるのには、それなりの理由がありました。
徴税人の仕事は、ローマ帝国のために税金を取り立てることです。
ローマは、ローマ皇帝が神として君臨する帝国です。ユダヤ人たちは、ローマ帝国のために税金を集めるという行為は、ローマ皇帝を神として崇めることだと見なしていました。
ですから徴税人は、同胞のユダヤ人たちから、偶像崇拝者として軽蔑されていました。
さらに、徴税人は、毎年ローマに収める規定額を集めるだけではなくて、徴税事務所の運営費用や自分の利益を上乗せした額を、民衆から徴収しました。
徴税人は、ローマ帝国から徴税権を与えられた権力者でもありました。ですから、民衆には、徴税人の不当な要求を拒否する術はありませんでした。
抵抗すれば、投獄され、徴収額をさらに上乗せされるという嫌がらせを受けるだけでした。
同胞から不当な取り立てをし、私服を肥やす徴税人は、ユダヤ民族の裏切り者として憎まれ、嫌われました。
ですから、ユダヤ人社会のエリート家庭や名家に生まれた者が、徴税人という職業を選ぶなんてことは、絶対にあり得ませんでした。
しかし、ユダヤ人社会の底辺に生まれた者にとって、徴税人という職業は、金と権力とを手に入れられる、もっとも確実な、そして恐らく、唯一の道でした。
ただし、徴税人として金持ちとなるということは、同胞のユダヤ人から憎まれ、嫌われ、友だちもいない、孤独な生活を受け入れるということでもありました。
恐らく、徴税人になる道を選んだ人たちは、それでもいいと思ったのでしょう。
あるいは、徴税人になるという決断は、自分を軽蔑し、意味嫌い、排斥してきたユダヤ人社会のエリートに対する報復でもあったのかもしれません。
いずれにしても、徴税人の頭ザアカイは、人から憎まれ、嫌われ、孤独になるとわかっていながら、金と権力を追い求めました。
彼は大金持ちになり、自分の望むものを何でも手に入れることができるようになりました。
しかし、何不自由ない生活を送ることができたはずのザアカイが、イエス様にどうしても会いたいとい思ったのです。
イエス様の周りには、自分と同業の徴税人や娼婦、その他にも、ありとあらゆる悪名高い人々が集まっているらしい。
ザアカイがイエス様に会いたいと思ったのは、そんな噂を耳にしたからです。
社会から除け者にされ、後ろ指を刺され、友だちもいないような人々が、イエス様の周りに集まっている。その話しは、ザアカイにとって希望の光となります。
もしかしたら、自分もイエス様の周りに集まっている人たちの仲間に入れてもらえるかもしれない。
ザアカイの期待の大きさは、大の大人が木によじ登って、枝にしがみついている、格好悪いにもほどがある、その姿に表されています。
ザアカイはそうまでして、イエス様に会いたい、イエス様の仲間になりたい、そう願っていたんです。
そしてイエス様は、ザアカイの願いに応えます。「今日はお前の家にどうしても泊まりたいんだ」。これは、「私の友だちに、仲間になってほしい」という、イエス様からの呼びかけです。
この呼びかけを聞いたザアカイは、大喜びでイエス様を迎えました。
ちなみに、ザアカイが迎えたのは、イエス様だけだったはずはありません。
イエス様の周りには12弟子をはじめ、常に多くの取り巻きがいましたから、その人たちも、イエス様にくっついて、ザアカイのところに押しかけたはずです。
イエス様と、彼にくっついてきた人たちと共に食事をし、語り合い、時を過ごすことによって、ザアカイの心は解けます。
ザアカイは、イエス様と彼の周りに集まる人たちとの交わりの中で、全てを投げ打って追い求めてきた、金と権力の追求から解放されます。
今日の物語の主人公、ザアカイは、イエス様の周りに集まっていた徴税人集団を代表する存在です。
イエス様の神の国運動に加わった徴税人たちの実際の変化は、今日の物語に描かれているほど瞬間的でも、劇的でも無かったでしょう。
イエス様に出会った徴税人たちは、徴税人としての仕事をやめたわけでもなさそうです。
けれども、彼らはイエス様の周りに生まれた神の国運動のコミュニティーの中で、共に食事をする喜びと、共に生きる仲間がいる豊かさを知りました。
そして徴税人たちは、彼らを奴隷にし、孤独にした金銭欲と権力欲から解放され、神の国のために富を使う者に変えられていきました。
ザアカイは、金銭欲と権力欲から解放されたからこそ、不正な富を、人々のために使うことができるようになりました。
ザアカイに解放をもたらしたのはイエス様の周りに生まれた、神の国のコミュニティーでした。
もし聖マーガレット教会の真ん中にイエス様がおられて、イエス様に会いたいと思ってやってきた人たちを喜んで迎えて、共に食事をする共同体であれたなら、私たちもザアカイのように、喜びに満たされ、富と影響力を得て、自分を守ろうとする誘惑から解放されるでしょう。
私たち一人一人がザアカイとされて、「聖マーガレット教会から沢山のザアカイが生まれているらしい」という噂になったら、それがさらに多くのザアカイを生み出すことにつながるでしょう。
イエス様に出会った一人一人が、小さなザアカイとされ、さらに多くのザアカイを生む、聖マーガレット教会が、そんな教会になれますように。
