










2025年11月23日(日)降臨節前主日(特定29)
エレミヤ23:1-6; コロサイ1:11-20; ルカ23:33-43
教会のカレンダー上で、今年最後の日曜日を迎えました。来週からは、いわゆるクリスマスの準備期間である降臨節、Adventに入ります。
そのようなタイミングで、イエス様が十字架にかけられる場面が福音書朗読で読まれたことに、「一体どういうことなんだ?」と驚かれた方もあるかと思います。
実は、この福音書朗読箇所の選択は、降臨節前主日に設定された、「王なるキリスト」あるいは、「キリストの支配」という「意向」(intention)に結びついています。
この降臨節前主日の意向は、戦後間も無く、1950年代前半から展開された典礼刷新運動(Liturgical movement)によって、劇的な変化を遂げました。
A年、B年、C年という3年周期の聖餐式聖書日課も、大斎節から始まる長いイースターシーズンも、Common Lectionaryという超教派の聖書日課も、この典礼刷新運動から生まれたものです。
もともと、「王なるキリストの祝日」は、1925年に、時の教皇ピオ十一世によって、10月最後の日曜日と定められました。
しかし、典礼刷新運動を主導したカトリックの礼拝学者たちはこれを、1970年に、降臨節前主日、つまりこの日曜日に移しました。
1990年以降にはChurch of Englandもローマ・カトリック教会に続き、2000年に出版されたCommon Worshipをもって、ほぼ公式な位置付けが与えられました。
日本聖公会の祈祷書には「降臨節前主日」(特定29)とあるだけで、「王なるキリスト」とも、「キリストの支配」とも出てきません。
しかし特祷には、「王なるキリスト」の意向が明確に見て取れます。
今日の特祷はこう始まります。「永遠にいます全能の神よ、あなたの御旨は、王の王、主の主である御子にあって、すべてのものを回復されることにあります。」
そして「罪の力にとらわれ、散らされたこの世の人びとが、御子の最もいつくしみ深い支配のもとで解放され、御恵みのうちにともに集められますように」と続きます。
「王なるキリスト」、「キリストの支配」は、先週も触れたキリスト教の終末論の教義、「再臨」に結びついています。
教会は、イエス・キリストが再び来られ、すべてのものをその足下に従わせる時を待っているのだ。
教会暦の最後の日曜日を飾る「王なるキリスト」、「キリストの支配」という意向は、1世紀から変わることのない終末論を告白しているわけです。
教会のカレンダーは、今日、この日曜日に、終末論で終わり、来週の日曜日、再び、終末論で始まります。
教会暦上の最後の日曜日が「王なるキリスト」の日曜日になったのは、先ほど述べたように、典礼刷新運動の結果です。
今日の福音書朗読で、なぜイエス様の十字架刑の場面が読まれたのか。その意味を解き明かすヒントは、37節と38節のこの言葉にあります。
「『お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。』38 イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王』と書いた罪状書きも掲げてあった。」
典礼刷新運動は、西洋の帝国主義が引き起こした2つの世界大戦の直後から、西洋の礼拝学者たちが始め、そして導いたたものです。
一年最後の主日の礼拝に込められた意向は「王なるキリスト」であり、その王は十字架にかけられたキリストだ。
典礼刷新を主導した学者たちはきっと、西洋の帝国主義や植民地主義と結びついた、覇権主義的キリスト教に対する解毒剤として、十字架にかけられた王なるキリストを示そうとしたのでしょう。
けれども、典礼刷新運動は、西洋諸国が帝国主義と植民地主義を悔い改め、覇権主義的キリスト教を捨てて、ナザレのイエスに帰る力とはなりませんでした。
それどころか、ナチズムを生み出し、ホロコーストを引き起こした西洋のキリスト教は、シオニズムを生み出し、ナクバを引き起こし、未だにその罪の中に留まったままです。
端的に言えば、第2次世界大戦後という大きな終末の時を経て、教会の礼拝の仕方は劇的に変わりましたが、礼拝の背後にある教会の教えが、徹底的な批判に晒され、見直されることはありませんでした。
教会のカレンダーの初めと終わりを飾るキリストの再臨という終末論は、歴史の中で数えきれないほど多くの悲劇を生み出し、今なお多くの人々を苦しめています。
それでも教会は、その問題の教義と、未だに、真正面から向き合うことができずにいるのです。
自分の正しさを主張すればするほど、過ちや失敗に向き合うことは難しくなる。それは日本聖公会という小さな教会である私たちにも言えることです。
昨日(11月22日)、芝公園の聖アンデレホールで、第147(定期)教区会が行われました。
聖マーガレット教会からは、Iさん、Kさん、Mさんが信徒代議員として参加してくださいました。
その中で、東京教区と北関東教区が一つの教区として進んでいくという、とても大きな決断が下されました。
これは東京教区にとっても、そして日本聖公会全体にとっても、歴史的な出来事だと言っても過言ではありません。
日本聖公会の11教区は、戦時中、宗教団体法による教会統制が進められようとしていたとき、日本聖公会として単独で宗教法人認可を受けるための、苦肉の策として生まれました。
本来であれば、戦時中のどさくさの中で生まれた11教区体制の見直しは、戦後すぐに行われるべきでした。
けれども、一度出来上がったものは、簡単には元に戻せません。むしろ、既成事実化が進みます。
早くも1971年には、信徒数の伸び悩み、高齢化、そして財政難が表面化し始め、教区制度見直しの話しが、何度も出ました。
けれども、教区再編の話は、先送りに次ぐ先送りが繰り返され、半世紀に渡って放置されてきました。
しかし、ついに、教区と教区の間を隔てる高く厚い壁に、大きな穴が開きました。東京教区と北関東教区から、教区再編のための第一歩が踏み出されたんです。
もちろん、重い腰を上げざるを得ないほど、もうこれ以上の先送りはできないというほどに、日本聖公会という教会がジリ貧になったという事実から、目を背けるわけにはいきません。
けれども、ようやく、見て見ぬふりをし、積み残してきた問題と向き合えるようになり、大きな一歩を踏み出せたということも、確かな事実です。
そういう意味では、ジリ貧になるのも、消滅の危機に貧することも、悪いことばかりじゃありません。本当にそう思います。
なぜなら、ジリ貧になった教会は、信頼を失ったキリスト教は、ついに真理に向き合い、ナザレのイエスに帰り、これまでの失敗や過ちから解放されて、新たな一歩を踏み出すことができるようになるからです。
それは大きな祝福です。それは今までに知らなかった、新しい喜びに向けた、新しい旅の始まりです。
一つの終末の時は、新しい時の始まりです。新たな旅の一歩を踏み出した、東京教区と北関東教区の上に、神様の豊かな導きと、祝福がありますように。
