降誕日聖餐式 説教

2025年12月25日(木)降誕日聖餐式

イザヤ52:7-10; ヘブライ1:1-4; ヨハネ1:1-14

 皆さん、クリスマスおめでとうございます。皆さんと共にこのように集まって、祈りと賛美を捧げ、2025年のクリスマスを祝うことができることを、心から感謝しています。

 さて、今朝読まれたヨハネ福音書には、クリスマス物語はありません。

 ヨハネ福音書には、イエス様の誕生に関する話はありません。

 ヨハネ福音書は、イエス・キリストを神の言葉(logos)と呼びます。

 この神のlogosの内に命が成り(生じ)、この命が、人を照らす光となった。

 そしてヨハネ福音書はこう言います。「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。」

 このヨハネ福音書の言葉に対する、私の率直な疑問は、「なぜ多くのクリスチャンが闇の中にいるのか。なぜこれほど多くの自称クリスチャンが、世界中で闇を作り出しているのか」ということです。

 私自身の身近なところで言えば、私が直接に経験してきた最も深い闇は、自分の母親でした。

 1935年の1月生まれで、5人兄弟の長女だった母は、1945年の敗戦の時には10歳の少女でした。

 7人の家族は、空襲でほとんどすべてを失い、戦後の食糧難の中で一家心中を考えていました。

 そんなとき、敗戦国日本の窮状に心を痛めた北米大陸のクリスチャンたちが、莫大な量の物資を、日本のために寄付してくれました。

 アメリカやカナダのクリスチャンたちが寄付してくれた大量の救援物資は、「ララ物資」と呼ばれ、1946年から1952年の間に、船で458隻分の食料・医薬品・衣料・学用品などが日本に届けられました。

 私の母と家族は、稲城の教会を通して配給されたララ物資によって命を繋ぎました。

 このときに私の母と教会との接点も生まれます。母を含む7人の家族は、生活に必要なものを得るために教会に足を運ぶようになり、そのどさくさの中で、母の両親と母と、一番下の弟が洗礼を受けました。

 敗戦後間も無く中学生となった母は、勉強好きで学校の成績も良かったようで、中学校の先生から、高校に進学することを勧められます。

 母は、高校に行かせてほしいと泣きながら両親に頼みますが、返って来たのは、「下に四人も兄弟がいて、どこに学費があるんだ」という言葉だけでした。

 結局、高校を受験することすら許されず、教育の機会を失った母は、下の4人の兄弟を養うために中学校卒業と同時に働き始めます。

 最初の結婚は35歳の時で、結婚相手の男性には、前妻との間に生まれた二人の娘と、一人の息子がいました。

 1971年12月に私を産んで間も無く、母は最初の夫と離婚し、しばらくして別の男性と結婚しますが、二度目の結婚生活もうまくゆかず、42歳の時に再び離婚をします。

 その後、母は女手一つで家計を支え、私を育てなくてはならないことになったわけですが、教育を受けられなかった母は最低賃金の仕事にしかつくことができませんでした。

 日本は「放置国家」ですから、二人の元夫が養育費を払うこともなければ、いかなる経済的負担を負うこともありませんでした。

 46歳のとき、母の身体と精神はともに限界を超えて、社会生活から完全に撤退し、家から一歩も出なくなり、誰とも話をしなくなりました。

 そして、そのまま、2011年の8月4日、幸せとは程遠い75年の生涯を閉じました。

 私の母は、中学生時代にキリスト教に出会い、洗礼を受けていたのに、結局、母は最後の最後まで、命を照らす光に出会えませんでした。

 私も高校時代に洗礼を受け、クリスチャンになりました。私は、イエス様の内に命を見出し、この光に照らされて、今も歩んでいます。

 極めて人間的な言い方をすれば、なぜ私の母は、イエス様に出会ったはずなのに、不幸な人生だったのか。なぜ、不幸なままで生涯を閉じなくてはならなかった女性の息子が、幸せに生きているのか。私はそのことをずっと問い続けています。

 その問いに対す一つの答えは、母には、光をもたらしてくれる人との出会いがなかったけれども、私にはそれがあったということなのだろうと思っています。

 母の人生は、高校にすら行かせてもらえなかったというところで、すべて終わってしまいました。

 勉強が嫌いだったのでもない。能力が無かったわけではない。むしろ大いに学び、自分の人生を切り開いていくことを望んだのに、それが許されなかった。それを後押ししてくれる人が、母の周りには、一人もいませんでした。

 それに対して、私は出会いに恵まれました。特に、恩師のホアン・マシア先生との出会いは、決定的でした。

 マシア先生はイエズス会の神父さんで、1998年から2004年まで、上智大学の教授として、主に生命倫理を教えていました。

 私は彼のもとで学び、そして一緒に仕事をしました。とうか、実態としては、私はマシア先生からアルバイト料をもらいながら、学ばせてもらったんです。

 マシア先生は、ポケットマネーをはたいて、私を学ばせ、神学者として育ててくれました。マシア先生は、自分自身の内に持っていた命の光、イエス様の光で、私の命を照らし、その命を開花させてくれました。育んでくれました。

 残念ながら、母には、マシア先生がいませんでした。母の命を照らし、彼女の命を開花させるために、光を分かち合ってくれる人との出会いがありませんでした。

 イエス様という光を受けた者は、暗闇の中に居る人に、光を与え、その人の命を照らすことができるはずです。

今日お一人お一人の内に、命の光が輝きますように。そしてその光を持って、闇の中に居る人たちの命を照らし、闇の中から引き上げてください。