9 Lessons & Carols 説教

2025年12月24日(水)9LC
早いもので、今年もついに、このクリスマス・イヴの夕べを迎えました。


毎年、12月24日の夕に行われるこの9Lessons & Carolsは、世の中の人たちが思い描くクリスマス礼拝のイメージに、一番近いものだと思います。


ロウソクに火を灯し、クリスマス・キャロルを歌って、「あ~、クリスマスだ!」と感じるという人も少なくないでしょう。


私は、この9Lessons & Carolsという礼拝が、普段教会に足を運ぶことのない人たちにとっても親しみやすい、「来年も行きたい」と思ってもらえるような礼拝であってほしいと思っていますし、できる限り多くの方々に、クリスマスの雰囲気を味わって欲しいと思っています。


けれども同時に、クリスマスを、ロマンチックな雰囲気だけで終わらせてほしく無いとも強く思っています。
日本は、過剰な形式が、意味を抹消してしまう社会ですが、教会で行われる礼拝の形式、スタイルは、「雰囲気」のためではなく、それを通して表そうとする「意味」と結びついています。
この9Lessons & Carolsという礼拝において、ロウソクが重要な要素になっているのは、クリスマスそのものが「闇を照らす光の到来」を祝う時だからです。


クリスマスは、深い闇を舞台として展開するドラマです。しかも、クリスマスのドラマの中で、光を見出すのは、あるいは光に照らされるのは、「ある特定の人たち」だけです。


今日、これまで読まれて来た聖書の箇所から具体的に例を挙げれば、それは羊飼いたちと、東方からやって来た博士たちだけです。


世の闇を照らす光の到来を祝うクリスマス。この物語にとって最大のパラドクスは、闇を作る人たちと、その人たちと結託して闇を深くする者たちは、闇の中にいることを知らない、というパラドクスです。


闇を作る者たちと、闇を作る者たちの側につく者たちは、闇を光とするのです。


皇帝アウグストゥス、総督キリニウス、ヘロデ大王、そしてダビデは闇の支配者です。この世の権力者たちは闇の力によって支配を確立します。


ですから、光がローマの皇帝の宮殿に、あるいはエルサレムのヘロデの宮殿に現れることもありません。それは世の闇の震源地であって、この世の力のあるところに、光はありません。
権力と金の集まるところで闇は最も深くなり、そこはすべての光を飲み込むブラック・ホールとなります。


クリスマス・イルミネーションの華やかさに惹かれて人が集まるところに、世を照らすまことの光はありません。ディズニーランドにイエス様はいないんです。

民族主義を掲げ、外国人へのヘイト・スピーチを垂れ流して差別を扇動する政党が票を集め、核武装だの軍事増税を口にする首相75%の支持を集める国は闇です。


アメリカも、イギリスも、ドイツも、ヨーロッパ全体も、深い闇です。
さて、私たちの中には、闇の力と結託して、うまいこと自分を守ろうという自己保存の本能が働きます。


その誘惑に負ける時、私たちはDietrich Bonhoefferの語った愚鈍に、Dummheit, stupidityに、身を委ねることになります。


私たちは、戦争をしたい人間たちに、過去の蛮行を英雄的行動にしたい人間たちに、自ら進んで騙されます。
そのとき私たちは、人間としてのモラルを、倫理を放棄します。


大多数の人間がモラルを放棄し、この世の支配者の狂気を受け入れることによって現れる闇の世界。それこそ、Bonheofferが戦った、Dummheit, stupidityに支配される暗黒の世界です。


私たちと大東亜戦争前夜との間には、半歩の距離しかありません。

もう2年近く前のことになりますが、災害対策を専門とする国交相の友人と話をしていたとき、北海道の農業労働の大部分を、ネパール人が担っているということを初めて聞きました。


彼の話を聞きながら私が眉をひそめたのは、ネパール人の農業従事者たちが、法律的には、日本に労働者としては存在しないことになっているという点でした。


彼らは存在しないことになっていて、もし「なぜ彼らは日本で働いているんですか」と聞かれた時には、「不法就労外国人」扱いされることになっているんです。

彼らを就労者として正式に受け入れれば、日本の法律を適用し、最低賃金も、労働条件も、健康保険補償しなくてはならなくなります。
そうなったら、彼らを安い労働力として使うことはできません。作業中に怪我をすれば、その補償もしなくてはなりません。


しかし、彼らは存在しないことにしておけば、発覚した時には「不法就労者」として扱い、怪我をしたときには何も補償せずに、「違法滞在者」として強制送還するだけで済みます。
要は、国は、安い労働力を確保し、補償問題を免れるために、意図的に彼らを不法就労者状態に放置しているわけです。


彼らの姿は、ルカ福音書に出てくる羊飼いたちの姿と、そのまま重なります。
羊飼いたちは、住民登録の対象になりませんでした。彼らはローマ帝国にも、ユダヤにも存在しないことになっていました。「不存在」というやつです。その上、彼らが夜通し、寝ずに番をし、世話をしている羊たちは、彼らの財産ではありません。


羊飼いたちは、資産家の財産管理を任され、最低賃金で働く労働者なのです。ネパール人たちが収穫する北海道の農作物が、彼らのものではないのと同じです。


ローマ人もユダヤ人も、羊飼いを人間扱いしませんでした。
マタイ福音書で、イエス様を最初に訪問した東の占星術師たちは、外国人です。それはつまり、最初に光を見出したのは、メシアの到来を待ち望んでいたユダヤ人ではなく、外国人だったということです。

 皆さん、どうぞこの夕べ、このことだけを覚えてお帰りください。

私たちがクリスマスにその到来を祝う光は、この世が粗末にしてもいいと思っている命を照らす光です。


私たちは、自称愛国主義者たちからの差別と憎悪とに晒されている人たちの間で、この光に出逢います。

 この世が粗末にする命のただ中で、世を照らすまことの光に出会う時、それは「この世があなたを見捨てても、私はあなたを見捨てない」という神の宣言になります。

願わくはこの夕べが、羊飼いたちと、東の占星術師たちが出会った光に、私たちも出会う時となりますように。