大斎節第3主日 説教

2026年03月08日(日)大斎節第3主日
出エジプト17:1-7; ローマ5:1-11; ヨハネ4:5-42

とても長い福音書朗読でした。今日は、主人公のサマリア人の女性から、少しだけ視点をずらして、私たちが「サマリア人」という人たちを、どれほど不当に扱って来たかということに目を向けたいと思います。


2010年後半以降、パレスチナ、レバノン、メソポタミア、そしてイランを舞台とした「古ゲノム学」(paleogenomics)と「集団遺伝学」(Population Genetics) の研究が、劇的に進みました。

その研究成果は、2500年以上に渡って語り継がれて来た、聖書の巨大な嘘を暴露しました。

その嘘というのは、偶像崇拝の罪に対する裁きとして、神がアッシリア帝国の手によってイスラエル王国を滅ぼし、その民は捕囚としてアッシリアに引いて行かれ、サマリアにはアッシリアの王が連れて来た異教徒たちが住みつき、ユダ族のみが残された(列王記下17章)、というものです。

この嘘は、キリスト教神学の中でも反復され、サマリア人は常に、偶像崇拝者、異教徒たちとの混血によって純粋性を失った汚れた者たちとして描かれて来ました。

パレスチナには、今も、サマリア人共同体が存在していますが、2024年の時点で、サマリア人の数はわずか870人に過ぎません。

ところがこの小さなコミュニティーを対象に行なわれた古ゲノム学の研究結果が、サマリア人について旧約聖書が語っていることを、すべて、完全にひっくり返しました。

研究者たちは、メギド、アシュケロン、シドン、そしてバアルハゾルで発見された青銅器時代から鉄器時代(c. 3500–1200BCE)のカナン人、つまり古代イスラエル人の頭蓋骨から採取されたDNAを分析し、サマリア人のDNAと比較しました。

すると驚くべきことに、サマリア人はカナン人/古代イスラエル人と、90%から94%の遺伝的連続性を保っていることが明らかになったのです。

つまり、古代イスラエルの民は、アッシリアの地に連れ去られてもいなければ、アッシリア王が送り込んだ異教徒たちと混血もしていなかったんです。

サマリア人が旧約聖書のイスラエル民族との遺伝的連続性を、ほぼ完全に保っているのに対して、ユダヤ人は圧倒的に、トルコ、イラン、コーカサス、イタリア、ローマの人々との混血民族です。

さらに「古ゲノム学」の研究結果は、今日の福音書朗読の中で語られている出来事にも光を当てるものです。
ヨハネ福音書4章の28節から42節は、サマリア人女性の証言を通して、更にイエス様自身の言葉によって、多くのサマリア人がイエス様を信じたと語っています。

イエス様自身の宣教活動によって、サマリア人のイエス運動共同体が生まれたと語っているのは、ヨハネ福音書だけです。

さらに、ヨハネの福音書の中で、イエス様は敵対者から、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれている」と言われています。その場面でイエス様は、「私は悪霊に取りつかれてはいない」とは言いますが、「私はサマリア人ではない」とは言いません。

私はヨハネ福音書の中で展開される神学の全体を見て、この福音書の背後には、サマリア人とユダヤ人のmixied communityがあったはずだという結論に辿り着きました。

そして、思いもよらぬことに、「古ゲノム学」の研究成果が、この解読を裏付けていることに気づきました。

パレスチナ人クリスチャンは、カナン人/古代イスラエル人と、82%から88%という、極めて高い遺伝的連続性を保っています。そして8%前後のギリシア系/ヨーロッパ系の遺伝子は、ヘレニスト・ユダヤ人から来ています。

つまり、今朝の福音書朗読の物語は、1世紀の早い段階で、サマリア人とヘレにスト・ユダヤ人から成るイエス運動共同体が生まれたという歴史的事実を反映しているのです。

旧約聖書のイスラエル人の末裔であるサマリア人の大部分は、歴史の中でクリスチャンかイスラム教徒となり、「イスラエルの伝統」を保持するサマリア人は、わずか870人まで激減しました。

しかし宗教的な変化を超えて、サマリア人の遺伝子は、旧約聖書のイスラエルの民との連続性を保っています。

この「古ゲノム学」の研究成果は、語り継がれてきた「偽りの物語」とどのように向き合うのかという問いを、私たちに突きつけています。

私たちは常に、内在化した物語を通して世界を見ています。どのような物語が自分のものの見方を固定化したのかということは、普通、意識に上りません。

第二次世界大戦後、日本の多くの人たちも、西洋中心の世界秩序という物語を内在化してきました。

例えば、ハリウッド映画や「海外の人気番組」は、イスラーム世界を、徹底的に、テロリストとして描き続けて来ました。アラブ人やパレスチナ人をヒーローとして描いているハリウッド映画を、私は一本も思い浮かべることができません。

さらにメディアの報道の中でも、アメリカを中心とする西洋は、人権尊重、法による支配、民主主義を通して正義を体現する者たちで、ターバンを巻いた褐色の肌の人たちは、西洋の正義によって成敗されるべきテロリストでした。

私たちは去年と今年、「共に生きる」というテーマを掲げて、この大斎節の期間を過ごしています。

昨年に続いて今年も、日本で難民支援の働きをしておられる方たち、そして難民申請中の方がたの話しを聞きました。

平和を求めて日本に逃れて来た人たちの苦しみの声は、「共に生きる」ことを不可能にしているもっとも大きな要因が、私たちの無知であることを告げています。

私たちは、自分の使っているスマホが、数え切れない児童労働者を生み、難民を生み出している現実を知りません。

難民申請者の苦しみの根源に、極めて陰湿で、非人道的な日本の難民政策があることを知りません。

西洋中心の戦後秩序と呼ばれるものの中で、彼らの生まれた国々が、どれほどの搾取と破壊とに晒されて来たのか、私たちは知りません。

しかし、ついに、パレスチナの物語が、中東の物語が、人権尊重、法による支配、民主主義という仮面の下に隠された、シオニズムという偽りの物語を暴き出しました。

偽りの物語は、真実の物語が語られることに耐えられません。だからこそシオニズムという偽りの物語は、パレスチナの物語を語る者を「反ユダヤ主義者」として攻撃し、黙らせるために、天文学的な額の金をつぎ込んできました。

なぜアメリカがイランで戦争を始めたのか。テヘランの女子学校がシオニスト同盟軍によって爆撃され、生徒165人が殺害され、その後も次々と学校や病院が爆撃されているのに、なぜトップニュースにならないのか。

それが未だに理解できないとすれば、私たちは今なお、偽りの物語によって盲目にされているということです。

イエス様の物語は、サマリア人とユダヤ人を隔てる憎しみの壁を打ち壊し、彼らを一つのコミュニティーとすることを可能にしました。

Mixed communityとなったヨハネ福音書の教会は、自分たちのことを「サマリア人」とも「ユダヤ人」とも呼ばなくなりました。

それは彼らが、ナザレのイエスが語った物語を生きることによって、新しいアイデンティティーを見出したからです。

私たちも、ヨハネ福音書の教会のように、ナザレのイエスが語られた新しい物語、神の国の物語を生きることによって、偽りの物語を捨て、隔ての壁を打ち壊し、共に生きる群れとなってゆくことができますように。