













4月9日(日)復活日
使徒 10:34-43; コロサイ 3:1-4; ヨハネ 20:1-18
イースターおめでとうございます。今年も共に集まり、復活のイエス・キリストの現れを祝うことができることは、大きな喜びであり、そして感謝です。
昨年も皆さんに告白したことですが、私は3年ほど前まで、ナザレのイエスがその到来を告げ知らせ、そのために働かれた「神の国」にとって「もっとも大切なもの」を知りませんでした。
そして私は、これから自分が牧師として働き続ける限り、毎年、イースターの度に、「神の国のもっとも大切なもの」を、皆さんと共に確認し、分かち合うと心に決めました。
神の国の実現のために最も大切なものを一言で言うとすれば、「イエス様を支えた女性たちに倣え!」ということになります。
イエス様が宣べ伝え、到来させようとしていた神の国は、2つの中心的な価値の上に立てられていました。一つは「食事を準備して、給仕をすること」です。もう一つは、「互いの足を洗うこと」です。
この二つこそが、神の国の中心的価値であり、最も重要なポリシーなのですが、この二本の柱は、一体どこから来たのでしょうか。
それはイエス様の宣教活動を支えた女性たちからです。イエス様と男の弟子たちのために食事を用意し、給仕をし、宣教活動を支えてくれたのは、女性たちでした。
さらに、福音書の中で、イエス様の足を洗ったのも、女性です。男の弟子たちがイエス様の足を洗ったことは、一度たりともありません。イエス様の男の弟子たちは、「食事を準備して、給仕をすること」にも、ましてや人の足を洗うことには、何も価値を見出しませんでした。
しかし、男たちの暴力が支配する世界には、決して平和が訪れないことを知っておられたイエス様は、本当の喜びと平和を作る「力」を、食事を準備し給仕をしてくれた女性たちから、足を洗ってくれた女性から学びました。
そして彼は、共同体のすべてのメンバーが、自分を支えてくれた女性たちに倣って生きるところにこそ、神の国が生まれると確信したのです。
ナザレのイエスが生まれ、生きた時代のパレスティナを支配していたのはローマ帝国です。ローマ帝国をローマ帝国たらしめる価値は、‘virtus’ でした。
これは英語の ‘virtue’ という言葉の語源で、日本語では「徳」とか「美徳」と訳されます。ラテン語の ‘vir’ は「男」で、 ‘virtus’ は「男らしさ」のことです。「男らしさ」は、人と世界をコントロールする力、支配力と結びついています。
人と世界をコントロールする力が最も試される場面は戦争であり、もっとも‘virtus’ を備えた者というのは、あらゆる戦争を勝利に導くことのできる軍事指導者です。
ローマ帝国を生み出し、これを維持するのは皇帝の軍隊です。ローマ皇帝はローマ軍の指揮官であり、それ故、ローマ皇帝は ‘virtus’ の体現者であることが求められます。
イエス様は、そのような世界の中で、まったく新しい王国、神の国を生み出そうとしたのです。
しかもその新しい王国は、男らしさ、 ‘virtus’ ではなく、イエス様を支えてくれた女性たちの業の上に、「食事を準備して、給仕をすること」と、「足を洗うこと」の上に立てられるものでした。
イエス様は、「男らしさ」の支配する世界によって、「男らしさ」を誇る男たちによって、十字架にかけられて殺されてしまいました。「食事を準備して、給仕をすること」と、「足を洗うこと」の上に新しい王国を建てようとする神の国プロジェクトは、失敗に終わったと思われました。
しかし、十字架の上で死なれ、墓に葬られたイエス様が、彼の宣教活動を支えた女性たちの前に、再び現れました。復活のキリストは、まず女性たちに現れました。男の弟子たちは、女性たちの証言を通じて、彼女たちのおかげで、復活のキリストに出会えたのです。
イエス・キリストの復活というのは、「イエスの神の国のヴィジョンは、私が目指す天地創造の業の完成形だ!」と、神ご自身が宣言されたということです。
プーチン大統領がウクライナで始めた戦争を通して、改めて全ての人々の目に明らかとなったように、この世の国はいつも、武力によって建てられ、軍隊によって守られるものです。
国境線と呼ばれるものはすべて戦争によって確定したのであり、国境線を守るのも、それを変えるのも、軍事力です。それはまさに、 ‘virtus’「男らしさ」の支配する世界です。
実は、イエス・キリストの命令に従って、「食事を準備し、給仕すること」と、「足を洗うこと」の上に「神の国」という新しい共同体を生み出すということは、「男の支配を終わらせる」ということでもあります。
「男らしさ」が、戦争を勝利に導く力が、最も重要な価値とみなされる世界に、本当の平和が訪れることはありません。
神の国で最も偉大な者のロールモデルは「イエスに従って来て世話をしていた婦人たち」です。彼女たちに倣う共同体の中にこそ、本当の喜びと平和は生まれます。
そして私たちは、イエス様を支えた女性たちがしたことをするために、イエス・キリストに呼ばれました。
十字架の上で殺されたナザレのイエスを死から甦らせ、イエスの神の国のヴィジョンを、天地創造の業の完成形として宣言された神が、私たち聖マーガレット教会を、イエスを支えた女性たちに倣う群れとしてくださいますように。
イースターおめでとうございます。