顕現後第5主日 説教

2026年2月8日(日)顕現後第5主日

イザヤ58:1-9a; Iコリント2:1-12; マタイ5:13-20

 「地の塩、世の光」。この言葉は、「目からうろこ」、「豚に真珠」、「良きサマリヤ人」、「放蕩息子」の次くらいに、世間に知られた聖書の言葉ではないでしょうか。

 「地の塩」という言葉を建学の精神やスクール・モットーに取り入れてしている学校も少なくありません。

 カトリックでは高円寺の光塩女子学院、サレジオ学院、南山高等学校・中学校(男子部)、プロテスタントでは青山学院、同志社女子中学校・高等学校、2015年にヴォーリズ学園と改称した旧近江兄弟社学園などがあります。

 意外なことに、聖公会系の学校には、「地の塩」を建学の精神やスクール・モットーとしているところはないようです。

 さて、今日は「地の塩、世の光」の「光」には触れずに、「塩」の方にだけ注目をしてお話をします。

 「塩」の話しは、マタイ福音書だけではなくて、マルコ福音書にも、ルカ福音書にも出てきます。短いので、3つを比べてみたいと思います。

 福音書朗読で読まれたマタイ福音書版はこうでした。

 「13 あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」

 では、マルコ版はどうでしょう。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ9:50)

 ルカ版はこうです。「34 塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。35 土にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」

 中心的な部分は同じですが、締めくくりの部分に大きな違いがあることに気づかれたでしょうか。

 マタイ福音書では、塩気を失った塩は「外に投げ捨てられ」て「人々に踏みつけられ」ます。

 ルカ福音書では「外に投げ捨てられる」だけで、「聞く耳のある者は聞きなさい」という警告で閉じられます。

 マルコ版は、「自分自身の内に塩を持ちなさい」と、「互いに平和に過ごしなさい」という2つの命令で締め括られます。

 しかし、何よりも興味深いのは、「あなたがたは地の塩である」というフレイズが、マタイ福音書にしかないことです。

 実は「あなたがたは地の塩である」という言葉は、マタイ福音書の著者の言葉です。

 この簡単な比較からもわかることは、福音書を書いた人たちは、イエス様の言葉を、自分の「意図」と、共同体の「必要」に従って、非常に自由に「加工」して用いているということです。

 この「自由」は諸刃の剣で、二つの可能性に道を開いています。

 一方には、時と場所が変わるのに応じて、イエス様の言葉を「柔軟」に解釈し、実践することができるという可能性があります。

 他方には、イエス様の言葉の「解釈」が、イエス様が語った神の国のヴィジョンから、彼の意図から、著しく逸脱していくという可能性があります。

 逸脱を避けるためには、ナザレのイエスという人が「何を語ったのか」、「何をしたのか」、「どのように生き」、そして彼に何が起きたのかを、歴史的に知ることが必要になります。

 では、イエス様は「塩」を題材にした格言を語った時、「塩の働き」として何を意図していたのでしょうか?

 私は、イエス様は調味料としての塩について話をしたのではないと、ほぼ確信しています。

 イエス様の「塩の格言」のもとにあるのは、ガリラヤ湖の漁業だったはずです。

 イエス様が宣教活動をしていた頃、「マグダラのマリアで有名」なマグダラは、一大水産加工場でした。

 マグダラのギリシア語名はΤαριχαία(タリカイア)と言うんですが、それは文字通り「塩漬場」という意味です。

ガリラヤ湖で捕れた魚は、マグダラで塩漬けにされたのです。大きい魚は塩をして干物にし、小さな魚は濃い塩水(brine)の中に漬けて、それからデカポリス全域やエルサレムの市場に輸送されました。

漁師たちが獲った傷みやすい魚を、安定的な収入源に変えるために必要不可欠だったもの。それは、死海沿岸から運ばれる大量の塩でした。塩を用いた防腐処理のおかげで、漁業はガリラヤ湖の一大産業となりえたのです。

 ところが、死海の塩は、泥湿地から採取されるもので、多くの不純物を含んでいました。しかも、湿気に触れると、塩分だけが流出してしまう性質のものでした。

 塩分が流出した後には、文字通り、塩気のない、白い粉だけが残ります。イエス様の格言にある通り、使い物にならなくなった塩は、外に投げ捨てられたのです。

 そして、イエス様の話しを聞いていた人々の中には、漁師や加工業者をはじめとした、ガリラヤ湖の漁業経済に関わっている人たちが、少なくなかったはずです。

 実際、イエス様の12弟子の中には、アンデレ、ペトロ、ゼベダイの子のヤコブとヨハネという4人の漁師がいました。

 そしてJesus movementにとって最も重要なイエス様の弟子、マグダラのマリアは、塩気を失った塩が外に投げ捨てられる光景を、日常的に目にしていたことでしょう。

 では、イエス様は、「塩の格言」を聞いた人たちに、何を期待したのでしょうか?それは、コミュニティーを、腐敗から守ることだったはずです。

 慈しみの心も憐れみの心もないエリートたちが支配する世界の中で、神の国のヴィジョンを生きて、腐敗を食い止める。それが塩気を保つことです。

 人の命がペットの動物よりも軽くなり、利益を生まない者たちは生きる価値がないかのように扱われる。

 外国人は低賃金労働者としてしか存在が認められず、若者を国のために死なせるのが当然だと考える政治家が選ばれる。それは腐敗の進む社会です。

 塩気を失わないために私たちにできること、腐敗を止めるために、聖マーガレット教会にできること。

 それは身近なところに、意外と沢山あるのではないでしょうか。

 難民を支援すること。一人親家庭に食材を提供し、子どもたちの教育をサポートすること。差別主義や排外主義に抵抗し、声を発すること。外国にルーツを持つ人たちが、このコミュニティーの中で増えること。虐殺を虐殺と呼ぶこと。戦争に反対すること。世界が誰に、どのように動かされているのかを学ぶこと。

 これらはみな、塩気のある生き方です。そして教会でも、教会の外でも、多くの人たちが、塩気の利いた生き方をしています。そこに希望があります。

 2月5日の木曜日、清繭子(きよし まゆこ)さんというエッセイストの方が、X(旧Twitter)というSNSのプラットフォーム上で、「ママ戦争止めてくるわ」というハッシュタグを付けて、期日前投票に行ってきたことを報告しました。

 清繭子(きよし まゆこ)さんのフォロワー数は5,600人ちょっとですから、お世辞にもSNS上で強い影響力を持つ人人とは言えません。

 けれども、彼女のこの投稿は7日土曜日の夜の時点で650万回万回以上も閲覧され、Xの日本国内トレンド第1位となりました。

 今日は衆議院選挙投票日です。皆さん絶対に投票に行ってください。

自分の投票行動が、戦争を止め、格差拡大を止め、差別を止め、命を守る、塩気の利いたものであることを祈りながら、タクシーを利用してでも、選挙に行ってください。

命を育む、塩気の利いた生き方こそが、復活の命に繋がる道なのですから。