











2026年4月19日(日)復活節第3主日
使徒言行録2:14a, 36-41; Iペトロ1:17-23; ルカ24:13-35
今朝の福音書朗読の物語は、「エマオの途上」の名で知られています。
謎に満ちたこの物語は、復活のイエス・キリストの顕現から半世紀以上も後の時代に、悩み、困惑しながら旅を続ける教会のために、ルカ福音書の著者が書いたものです。
「復活のキリストが弟子たちの前に現れる」という出来事は、それほど長くは続きませんでした。長く見積もっても2ヶ月というところです。
直接に、「復活の証人」たちからイエス様の話を聞いて、Jesus Movementに加わった人々は、自分たちの生きているうちに、イエス様が再び帰ってくると信じていました。
けれども、イエス様の帰りは遅れに遅れ、ついには復活の証人たちがいなくなりました。
後に残された教会が、「イエス・キリストは、一体今どこにいるんだろうか?」と思い始めたとしても、何の不思議もありません。
忠実なパウロの弟子であったルカ福音書の著者は、師匠の教えを、このエマオの途上の物語に託しました。
私たちが不安や恐れの中で歩んでいる時、イエス様の姿が見えなくなってしまうことがある。
しかし、たとえ私たちが気づいていなくても、イエス様は私たちと共に歩んでおられる。
そして何よりも、イエス様の名によって集められ、共にパンを割く時、新しい命に起こされたイエス様がそこにおられるのだ!
ルカ福音書の著者は、そう言って教会を励まそうとしています。
私も洗礼準備のときに、ルカ福音書の著者と同じようなことを言ってきました。キリスト教の中心には食事があるんだ、と。
今でも、イエス様が宣べ伝えた神の国の中心には大宴会、盛大なパーティーがあると言い続けています。
しかし、ナザレのイエスその人に帰ろうとすればするほど、「洗礼を受けた人しか陪餐に与れない」という歴史的教会の主張は、彼の語った神の国とも、彼の生き方とも相入れないのではないかと感じざるをえません。
洗礼を受けた人しか陪餐に与れないという主張の根拠として、しばしば、共観福音書の最後の晩餐の記述が引き合いに出されます。
イエス様と共に食事をしたのは、12使徒ないしは12弟子たちだけだったというわけです。
けれども、この主張には、大きな問題が2つあります。まず、私たちが「聖餐式」と呼んでいるものの起源は、「最後の晩餐」ではありません。
もし聖餐式の起源が共観福音書に記された「最後の晩餐」であったとしたら、それは年に1度しか行われません。なぜなら、それは過ぎ越しの祭りの食事だからです。
ヨハネ福音書の枠組みを採用して、過ぎ越しの前の晩の食事だと言ったとしても、それが年に1度のものであることに変わりはありません。
そして、元々は、イースターが、キリスト教版の過ぎ越しの祭りでした。だからイースターは年に一度しかないんです。
4月5日に行われたイースター・フェスティバルに初めて来てくれた女の子が、すごく楽しかったと言って喜んで、お母さんに、「今度はいつイースターあるの」と聞いてくれたそうですが、残念ながら、イースターは年に1度しかありません。
では、「聖餐式」の起源は何だったのでしょうか?直接的な起源として挙げられるのは、イエス様に倣う者たちが共に集まって食べる、日常的な食事、夕食です。
しかし、さらに、その食事の原点は何だったのかかと問えば、それはイエス様が語り、そして生きた、神の国に行き着きます。
イエス様が語った神の国は、単なる理念的なものや、抽象的な概念ではありませんでした。
イエス様にとって神の国は、徴税人、罪人、遊女たちとともに囲む食卓に現れるものでした。
そうしますと、聖餐式と呼ばれているものの起源は、イエス様が罪人たちと共に囲んだ食卓にあるということになります。
するとさらに、聖餐式は、神の国の先取りであり、神の国を、今、ここに現す営みだということになります。だからこそ聖餐式は、年に1回ではなく、毎週行われるのです。
ルカ福音書の著者は、使徒言行録を書いた人でもありますが、彼はその中で、イエス様に倣う人たちが毎日集まって、家でパンを割いていたとも語っています
繰り返しになりますが、聖餐式の直接の起源は、イエス運動共同体の、日毎の食事でした。
共同体の食事から、宗教儀礼としての聖餐式が分離したのは、ずっと後のことです。
最後の晩餐と聖餐式を結びつけて、洗礼を受けた者だけが陪餐を受けられるという説明には、さらに深刻な問題があります。
12使徒たちが全員、洗礼を受けていたかどうかという問題は、とりあえず脇に置いておきます。
しかし、12使徒だけがイエス様と共に食事をしたという共観福音書の記述を根拠にして、「だから洗礼を受けた者たちだけが陪餐を受けられるんだ」と言うとすると、女性は陪餐を受けられないということになります。
共観福音書の記述を額面通りに取れば、最後の晩餐の席には男性しかいません。そうすると、聖餐に与れるのは男性だけだ、という話しになるはずです。
ここで私たちは立ち止まり、疑いをもって、深く考えなければなりません。
新約聖書も含めて、聖書という書庫の中には、女性が書いた文書は一つとしてありません。
ですから、私たちは聖書というテキストから、女性たちの生の声を、女性たち自身が語った言葉を、直接聞くことはできません。
もちろん、女性たちが存在しなかったわけではありません。イエス様の宣教活動は、大いに女性たちに支えられました。女性たちの働きなしに、イエス様の宣教活動は成り立ちませんでした。
最後の晩餐の食事の準備も、Jesus Movement communityの日毎の夕食の準備も、女性たちがしています。
それにも関わらず、テキストの中に女性たちの姿は見えないし、その声も聞こえないんです。
ルカ福音書の著者は、使徒言行録の中で、公式の復活の証人は、12使徒を中心とした男だけだと宣言します。聖霊も、男たちの上にしか降りません。
男性のリーダーシップのもとで組織化が進むに従って、Jesus Movementを始動させ、中心的な役割を果たしてきた女性たちが姿を消し、周辺化されていった。それはとても皮肉で、悲しい歴史的現実です。
私は毎週日曜日に、陪餐の前に、「洗礼を受けていない方は陪餐できません」と言わなくてはなりません。
私は、その言葉を口にする度に、教会の礼拝の中心にある聖餐式が、ナザレのイエスの教えと生き方を裏切っていると感じます。
イエス様は徴税人たち、罪人、娼婦と交わり、彼らと共に食事をしました。
そのイエス様が語り、ご自分の生き方をもって示された神の国に、洗礼を受けていない人の場は無いんでしょうか?
多くの人々が、ナザレのイエスに出会えないのは、イエス様が招いた人たちを、教会が追い返したからなのではないでしょうか?
世界が排除と分断の論理によって支配され、よそ者と見なされた人たちが殺されていく。
そんな時代だからこそ、教会はナザレのイエスを再発見し、聖餐式のあり方も問い直されるべきなのではないでしょうか。
