









1月1日(月)主イエス命名日
民数記 6:22-27; ガラテヤ 4:4-7; ルカ 2:15-21
皆さん、明けましておめでとうございます。新しい年もよろしくお願いいたします。
私にとって2023年は、あっという間に過ぎ去った1年でした。本当に時の流れを早く感じました。
聖マーガレット教会の牧師として、「ぜひ、これをしようと」と思っていたのに、できずに終わってしまったことも、実はいくつかあります。その一つに関しては、できれば3月31日までにやり遂げたいと思っています。
すでに昨年のことになりましたが、クリスマス前、降臨節に入ったときに私が強く感じていたのは、は2020年以降、「いつものように」「これまで通り」に、クリスマスを祝うことができないという状況が続いているなということでした。
2020にコロナ禍に突入し、私たちは長く暗いトンネルの中を歩いているような状態で、教会活動を続けてきました。
3年にわたって続いた新型コロナウイルスとの戦いの出口が見えてきた、トンネルから出られる日が近づいてきたかもしれない。
そう感じ始めた矢先に、今度はロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、それは双方に大きな犠牲者を出す全面戦争へと発展し、その終わりがまったく見えない状態で、私たちは2023年を迎えました。
ロシアとウクライナの戦争の出口は相変わらず見えませんでしたが、2023年には本当にポスト・コロナとなって、教会の様々な活動を本格的に再開できる、あるいは新しいことを始められると期待していました。
そして、実際に、聖マーガレット教会の歩みの上には、神様の豊かな祝福が注がれたと思っています。
ところが、その2023年の10月には、今度はパレスティナを舞台に、コロナ禍よりも、ロシアの軍事侵攻よりも、更に巨大な闇が私たちの目の前で口を広げました。
イスラエル軍による、殺戮に次ぐ殺戮が止まらない中で、私たちはこの新しい年を迎えることになりました。
2023年最後の日となった昨日は、第5主日だったので、ユースの聖餐式が行われました。年末で参加者は少ないだろうと思ったのですが、23名の仲間が集まりました。
そこで私は、キリスト教は終末論的な宗教であるということの意味について、話をしました。
私はこの新年最初の日に、皆さんとも、キリスト教が終末論的宗教であるということの意味を確認して、新しい年の歩みを始めたいと思います。
キリスト教が終末論的な宗教として生まれたということは、イエス様が来られた時代、ユダヤ人の多くの民衆が、「終わりの時」を待っていたということです。
イエス様が来られた時、人々は、自分の置かれた時代が、自分の置かれている世界が、終わることを期待していたのです。
なぜ終わりを願うのでしょうか?誰が、あるいは、どんな人が、終わりを願うのでしょうか?
私たちは、楽しい時は終わってほしくないと思います。幸せな時代は過ぎ去ってほしくないと思います。では、どんなとき、人は世界の終わりを、時代の終わりを願うのでしょうか?
それは苦しみの時です。抑圧されている時です。不正に晒されている時です。
その時代を支配する者たちから虐げられ、踏み躙られ、虫ケラのように扱われ、「今」というときが地獄のような時だから、人は、その時が過ぎ去ることを、その時代を支配する者たちが滅ぼされることを、つまり終末を願うのです。
多くの人たちが、地獄のような時代が終わり、自分たちを苦しめる者たちによる支配が終わることを願っている時に生まれた宗教だから、キリスト教は終末論的な宗教なのです。
しかし、「終わり」は、多くのクリスチャンたちが期待していたような形では来ませんでした。キリストは帰ってきませんでした。
世界は、クリスチャンたちが思っていたような形では、終わりを迎えませんでした。
けれども、イエス・キリストが帰ってこないまま2千年以上が過ぎた今も、キリスト教は終末論的宗教です。そして教会というのは、終末論的な使命を託された共同体なのです。
教会には、イエス・キリストが宣べ伝えた神の国から学びながら、本来、世界にあるべきではないものを見出し、それらを終わらせるという使命があるのです。
奴隷制度はあってはならないものでした。南アフリカのアパルトヘイト体制もあってはならないものでした。幸い、これらはすでに終わりました。
しかし、今なお、あってはならないものが世界で力を奮っています。白人至上主義と植民地主義が猛威を奮っています。アメリカの帝国主義が平和を破壊しています。
日本社会の男女の賃金格差も無くなっていません。ひとり親家庭の貧困も、経済格差による教育格差も無くなっていません。
あるべきでないのに、世界で幅を利かせているもの。それは不正と呼ばれます。
教会は、イエス・キリストの福音から、神の国の理想から学ぶことによって、この世にあってはならないもの、不正に取って代わるような「良きもの」を生み出し、それによって、あってはならないものを、不正を終わらせる使命を持っているんです。
そして、私たちが、イエス・キリストの福音に、神の国の福音に深くコミットするなら、私たちは小さな不正を、あるべきではない様々なことを、良きもので置き換えることによって、終わらせていくことができます。
そのようにして人を生かし、解放し、自由にし、平和を作ることが、教会という小さな共同体に神が与えられた、終末論的な使命です。
聖マーガレット教会の新たな1年の歩みが、喜びをもって、終末論的使命を果たしていくものとなりますように。
