降誕後第1主日 説教

12月31日(日)

イザヤ 61:10-62:3; ガラテヤ 4:4-7; ルカ 2:22-40

今朝の福音書朗読の中でルカは、舞台をエルサレム神殿に設定するために、律法の定めに従って、マリアとヨセフが、幼子イエスを連れてエルサレムに上ったと書いています。

しかし、この舞台設定と、その舞台に到達するまでの説明には、かなり無理があります。

旧約聖書の中には、今日の話と関係すると思われる、子どもを産んだ女性と、生まれてきた子どもに関する3つの規定があります。

旧約聖書のレビ記12章には、男の子が生まれた場合に8日目に割礼を授けるようにという規定と共に、子どもを産んだ女性の清めの儀式に関する規定があります。

女性が男児を産んだ場合40日間、女児を産んだ場合80日間汚れており、その間は隔離されて、聖なるものに近づいてはならないと言われます。

そしてこの期間が過ぎたら、焼き尽くすいけにえとして一歳の雄の小羊を、清めのいけにえとして若い家鳩1羽か、山鳩1羽を献げるようにと定めています。

出エジプト記13章1節と2節には、「すべての初子を聖別」するようにという規定がありますが、具体的に何をすべきかは書かれていません。

そして民数記18章15節と16節には、人の初子は祭司に銀5シェケルを払って贖わなければならないという規定がありますが、ルカはこの規定にはまったく触れていません。

まず、どの規定を満たすためにも、生まれてきた子どもを同伴する必要はありません。また、初子の男子をエルサレム神殿に連れて行って聖別するという儀礼も存在しませんでした。

なぜ、ルカがこれほど無理をしてまで、このエピソードの舞台をエルサレム神殿にしたかったのか、私にはわかりません。

ルカ福音書と使徒言行録は、福音がエルサレムから始まって、地の果てのローマにまで到達する一大巨編なので、そこと何らかの関係があるのかもしれません。

今日の主人公の一人、シメオンに与えられている役割は、天使ガブリエルと、羊飼いたちに与えられた役割と同じです。

ルカ福音書の1章26節から38節、2章8節から20節、そして2章25節から39節には、3つの告知の物語があります。

「告知の物語」というのは、ヨセフとマリアの間に生まれてくる子どものアイデンティティー、あるいは神から与えられた特別な使命を告げる物語のことです。

生まれてくる幼子が何者なのか。神からどのような働きを、どのような使命を託されているのか。それを幼子の両親に告げる役割を与えられているのが、天使ガブリエルであり、羊飼いたちであり、そして今日のシメオンです。

天使ガブリエルはこう告げます。「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

羊飼いたちは、イエス様を探し当て、そこにいるマリアとヨセフに天使からの言葉を告げます。「今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」

そしてシメオンはこう告げます。「これは万民の前に備えられた救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの栄光です。」「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう。多くの人の心の思いが現れるためです。」

マリアとヨセフは、「告知」を聞く度に驚き、戸惑います。これは、3つの告知の間に、本来つながりが無かったことを示しています。

3つの告知の物語は、もともとは独立して語り継がれていたわけです。

36節から38節に登場するアンナの役割は、両親に対する告知者ではなく、救い主について人々に宣べ伝える、最初の宣教者です。

今日の福音書朗読の中で告知者としての役割を果たすシメオンは、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」と言います。

羊飼いたちに「喜びの知らせ」として告げられたイエス・キリストの到来は、「反対を受けるしるし」ともなる。そうルカは言います。

ルカは、降誕物語の初めから、イエス・キリストの到来が誰にとって喜びの知らせとなり、「反対」がどこから出るかを予告しています。

イエス・キリストの到来は、羊飼いに代表される、抑圧され、虐げられ、貧しくされている人たちにとっては喜びとなります。

しかし、暗闇を作り、人々を飢えさせ、死の影の中に座らせる者たちは、イエス・キリストに反対します。

マリアとヨセフの貧しさ、そしてイエス様のご自身の貧しさは、神の国の福音の本質に属しています。ルカは、貧しい人々を祝福された者と呼び、金持ちを呪われた者と呼んでいます。

こうしてルカは、イエス・キリストを救い主、解放者として受け入れるのは貧しい人たちと、貧しい人たちの側につくことを選んだ者たちであることを教えています。

人々を飢えさせ、死の影の中に座らせる抑圧者とはこの世の支配者であり、彼らは神が造られた世界の富を独占しようとする略奪者です。

戦後、この闇の現実が、今ほどあからさまになったことはなかったと思います。

第2次世界大戦の終結からわずか3年後、ヨーロッパから押し寄せたシオニスト・ユダヤ人は、パレスティナ人に対する民族浄化を行い、彼らの家と土地を奪い、70万人を難民にすることによって、シオニスト国家イスラエルの建国を宣言します。

西洋諸国は、それを傍観していたどころか、むしろこれを後押ししました。そして今、イスラエルによるガザの住民に対する虐殺が現在進行形で行われています。

10月7日から今日までの間に、すでに3万人を超えるパレスティナ人が殺されました。

イスラエル軍は1週間に千人のペースで、子どもたちを殺しています。それは、たった2週間の間に、隣の学校の小学校と中学校・高校の全生徒がいなくなるということです。

さらに、175万人が難民となり、6万人の負傷がいます。

ガザの医療機関がほとんど破壊されていることを考慮すれば、例えイスラエル軍による攻撃が収まったとしても、死者は今後も増え続けます。

ところが、この虐殺行為を前にしながら、アメリカ政府もEU諸国のほとんどの政府も、イスラエルを支持し、今も武器を送り続けています。

これは、私たちが今なお、白人至上主義と植民地主義が支配する世界に生きているということを示す、否定し難い証拠です。

しかし、希望の光もあります。それは、死の影の中にガザの人々を追いやる抑圧者集団の政府に対して、多くの市民が立ち上がり、大多数の民衆が、パレスティナの人々との連帯を表明していることです。

今は平時ではありません。剥き出しの闇の力が姿を現している時です。

私たちも、自分たちがどこに立つのか、誰と共に生きようとするのかと問われています。

皆さん、抑圧され、踏み躙られ、虫ケラのように殺されていく人々から、目を逸らさないでください。

彼らと共に立ち、彼らと共に生きるために、何ができるかを思い巡らせ、祈ってください。

 そのとき、この悲劇の中から、イエス・キリストの福音が、再び喜びの知らせとして、私たちの前に現れるはずです。