聖霊降臨後第16主日 説教

2026年9月13日(日)聖霊降臨後第16主日(特定19)

創世記 50:15-21; ローマ14:1-12; マタイ18:21-35

自分は1万タラントンの借金を帳消しにしてもらいながら、借している100デナリオンを返せない仲間の首を締めて、牢屋に放り込む男。それが今日の福音書朗読の主人公です。

 1万タラントンというのは、かなりの高額なんだろうという想像はついても、どれくらいの高額なのか、なかなかイメージが湧きません。

 そこで少しだけ、1万タラントンのインパクトを感じられる例を考えてみました。

 イエス様がガリラヤ湖周辺で宣教活動をしていた時代、ガリラヤの領主はヘロデ・アンティパスという人でした。バプテスマのヨハネを殺した、あのヘロデ・アンティパスです。

 この頃、ガリラヤの人口は、15万人から30万人で、ヘロデ・アンティパスが1年に集める税金は約200タラントンだったそうです。

 これを東京都に当てはめてみようと思いまして、人口15万人から30万人の自治体を探してみました。

 人口15万人から20万人の自治体は小平市、三鷹市、立川市などがあります。20万人から25万人が渋谷区、調布市、文京区など、そして25万人から30万人の自治体は港区、目黒区、府中市などです。

 この中から、それほど大きくもないし、それほどお金持ちでもなさそうな三鷹市が2025年に集めた税金を見てみると、約419億円でした。

 1万タラントンは、ヘロデ・アンティパスの年間税収の50倍なので、三鷹市の税収をこれに当てはめると、2兆950億円くらいということになります。

 今朝の福音書朗読の物語の中で、1万タラントンの借金と言われているものは、実は借金ではなくて、この家来が主君の財産から着服に着服を重ねた末に積み上がった負債で、それがガリラヤの税収の50年分にもなってしまったというのです。

 債務者が負債を返せなくなった場合、債権者は損失分を取り戻すために、債務者とその家族を奴隷として売る権利を得ます。

 着服に着服を重ね、とんでもない額の負債を抱えたこの家来は、『どうか待ってください。きっと全部お返ししますから』とおでこを地面に擦り付けながら主君に懇願します。

 これを見て私なんかは、「絶対返せもしないのに、見え透いた演技をしやがって」と思ってしまうのですが、主君はとんでもない行動に出ます。なんと、この家来を憐れに思って、負債を帳消しにしてやったというのです!

 家来の巨大な負債を帳消しにするこの主君が、イエス様が「アッバ」と呼ぶ神様の姿を象徴していることは明らかで、実にイエス様らしい神様の描き方です。

 マタイの福音書の著者は、イエス様の譬え話を「共同体の中で起こる問題を解決するための指針」として用いようとしています。

 マタイ福音書の著者が所属している教会には(も)、謝金をしなければ「その日のパン」にありつけないほど貧しい人たちがいました。借金をした人が、返せなくなるケースも、少なからずあったはずです。

 先ほども触れたように、借り手が借金を返せなくなったら、借し手は借り手とその家族を奴隷として売ることができます。

 そして、借金を返せなくなった仲間を奴隷として売りつけることが、実際に教会の中で起きていました。だからこの物語が書かれているんです。

 マタイ福音書の著者は、そんなことは教会の中で絶対に起きてはならないことだ、それは神に対する暴虐であり、イエス様に対する裏切りだと言って、借金を返せない仲間を売る行為を止めさせようとしています。

 1万タラントンの借金を抱えることになった家来の姿は、私たちを、すべての人間の姿を象徴しています。

 マタイ福音書の著者は、私たち人間を、神様の富を着服しながら、神様が造られた世界を傷つけながら生きている存在として捉えているんです。

 実は、その人間観は私たちが毎週唱えている「主の祈り」の中にもあります。

 私たちが唱えている「主の祈り」は、マタイの福音書6章9節から13節に基づいていますが、その中に「私たちの借金を免除してください。私たちも私たちに借金のある人たちを免除しましたから」という部分があります。

 残念ながら、この部分を私たちが用いている「主の祈り」の翻訳は、「私たちの罪をおゆるしください。私たちも人をゆるします」としてしまっています。

 でも本当は、マタイ版の「主の祈り」は、神に対する負債を、絶対に返すことのできない負債を抱えた存在として、人を描いているんです。

 「神様から、絶対に返せない負債を免除されて生きている私たちが、仲間の借金を許さないなんてことがあってはならない。」そうマタイの福音書は言っているのです。

 けれども、絶対に返せない負債を免除されていることをあっという間に忘れた人間は、仲間に借した100デナリオン、100日分の労働賃金に当たる額の返済期間を延ばすことすら許さずに、投獄し、奴隷として売り払います。

 自分の負債のことを忘れ、自分の犯した悪を忘れて、ハリボテの「正しさ」を振りかざして人を攻撃する人間ほど恐ろしいものはありません。

 それは今、世界中を脅かすアメリカという国の恐ろしさであり、その陰に隠れて同じことをしている日本の恐ろしさでもあります。

 自分の犯してきたあらゆる悪から目を背け、誰も信じないようなハリボテの「正しさを」演出し、敵と見做した者を攻撃する。

 「世の終わり」を感じさせるような閉塞感に覆われた世界の中で、イエスに倣う者たちの群れは何ができるのでしょうか。何をすべきなのでしょうか。

 今朝の福音書朗読は、返済不可能な負債を帳消しにする憐れみ深い神様の姿を示すようにと私たちに命じます。

 2002年、今から24年前、1つのニュースが日本中に衝撃を与えました。それは、横田めぐみさんをはじめとする日本人が、北朝鮮に拉致されていたというニュースでした。

 この報道の後、日本中が北朝鮮に対する憎悪に覆われることになりました。

 北朝鮮は文字通り、悪の代名詞となり、外交的対話のチャンネルは閉じられました。

 アメリカを中心とする西洋諸国と日本の経済制裁によって、北朝鮮の食糧危機は深刻さを増し、多くの子どもたちが餓死しました。

 そのような状況の中で、新潟県のある農家の方が、子どもたちにひもじい思いをさせたくないと言って、北朝鮮に米を送り続けました。

 日本中が北朝鮮の破滅を願っているような空気の中で、この農家の方の「敵に塩を送る」ならぬ、「敵に米を送る」行為は、凄まじい批判と誹謗中傷の的になりました。それでも彼は、北朝鮮に米を送ることを止めませんでした。

 「市民が拉致されるなんてことは絶対に許されない!」それは誰もが認めるところです。

 その誰もが認める基準を自国に当てはめたなら、私たちは、北朝鮮だけを悪の権化として語ることはできなくなります。

 なぜなら、東アジアの多くの国にとって、大日本帝国こそ、悪の代名詞だったからです。

 そして今この国は、自分の負債を忘れ、アメリカのハリボテの正しさに乗って、アメリカ軍との一体化を進めて、再び軍事大国になる道を突き進んでいます。

 そのような状況の中で、私たちはどうやって、返済不可能な負債を帳消しにされる、憐れみ深く太っ腹な神様の姿を示すのか。

 私は、北朝鮮の子どもたちにひもじい思いをさせたくないと言って米を送り続けたあの新潟の農家の方が、すでにその道を示しておられたと思います。

 憐れみの心は、国籍や民族といった人為的な境界線を知りません。

 憐れみの心は、人の痛みを、苦しみを、自分の痛み、自分の苦しみとして感じて、何かをせずにはいられなくなる、そういう心の動きです。

 だからこそ、国が「私たち」の中に入らないとする人たち、「敵」と見なす人々さえも、「私たち」の中に加えることができます。

返済不可能な負債を帳消しにされた者たちの集まりである私たち、聖マーガレット教会が、北朝鮮に米を送り続けたあの農家の方の足跡に従って、憐れみ深い神の姿を現す群れとして歩むことができますように。