










聖霊降臨後第9主日(特定12)(A年) 2026年7月26日
列王記上3:5-12; ローマ8:26-39; マタイ13:31-33,44-52
今朝の福音書朗読の前半部分、マタイ福音書13章の31節から33節の物語は、ルカ福音書13章18節から21節にもあります。
マタイ福音書の著者は「神の国」という表現を「天の国」と言い換えていますが、内容的にはルカもマタイもほとんど同じです。
今日は「天の国」の例え話の中から、最初の2つに絞ってお話をいたします。
イエス様が語られた天の国/神の国は、イスラエルの歴史の中にも、教会の歴史の中にも、「これこそ神の国です」というような形では存在しません。
神の国は「からし種」や「パン種」のような、日常のありふれたものを通して姿を現します。
からし種は小さくて、土の上に落ちると、その姿がまったく見えなくなります。
でも、からしは非常に強い植物で、土を選びません。他の作物が育たないような荒れた土地でも、人知れず生き延びて、3,4メートルに達する灌木になります。
そして、成長したからしの茂みは、いろんな所からやって来た鳥たちに休息の場を提供します。
わずかな「パン種」も、生地の中に練り込まれたら、どこにあるのかわからなくなります。けれども、食卓を囲む喜びになくてはならないパンを作るためには、そのわずかなパン種が必要不可欠です。
「パン種」と訳されている「ζύμη」というギリシア語は、新約聖書の中に13回登場します。例えば、
「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に十分気をつけなさい」(マルコ8:15)
「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に十分注意しなさい」(マタイ16:6)
「僅かなパン種が生地全体を膨らませることを、知らないのですか。新しい生地のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです」(Iコリント 5:6-8)
お気づきのように、新約聖書の中では、そして同時代のユダヤ教文学の中でも、「パン種」は常に悪の象徴として用いられています。
ところがイエス様は、「パン種」を神の国の喜びに結びつけて、肯定的に用いているんです。しかも「パン種」の例え話は女性に結びつけて語られています。
「天の国は、パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの小麦粉に混ぜると、やがて全体が膨らむ。」(マタイ13:33)
神の国の土台となる価値が、イエス様の宣教活動を支えた女性たちから来ていること、同時代のユダヤ教文学の中に「パン種」を肯定的に用いる例は存在しなことから、「パン種の例え」は、ナザレのイエス自身が発した言葉であることが明らかになります。
「パン種」と「からし種」を通して現れる神の国は、一方的に、神の力によって打ち立てられるものではありません。
それは、神様が造られた世界の中に、すでに種として、可能性として存在しているものです。
私たちには、神様が創造された世界の中にすでにある神の国の種を見つけ出して、それを育てるという使命を、神様らか与えられています。
私は自分がクリスチャンになる前、中学生の時すでに、神の国の喜びを味わっていました。しかし、それが神の国の喜びだったと気づいたのは、中学を卒業して何年も経ってからのことでした。
私は中学1年の1学期に drop out して不登校になりました。
2年になるタイミングで一応学校に戻ったのですが、当然のことながら、クラスの勉強にまったくついていけませんでした。
結局、学校に行くのは週に1日か2日で、学校に行っても授業中は寝ているという暗い中学生時代でした。
そんな暗い中学校時代の中に、今も明るく輝く、心から喜びを味わった思い出が1つあります。それは中学校の合唱コンクールと音楽の時間でした。
合唱コンクールと音楽の時間が、大きな喜びの時間になったのは、I先生という音楽の先生がいてくれたからでした。
私が通っていた頃、川崎市立S中学校は、私たちの上と下の世代が非常に荒れていて、いわゆるヤンキーと呼ばれるような、素行のよろしくない生徒が沢山いる学校でした。
合唱コンクールの時期になると、登校後の朝と下校前の時間に、合唱練習がありました。
「ヤンキーの反抗的な生徒たちが合唱練習なんかするわけない」。私はそう思っていました。
ところがI先生が合唱指導をすると、ヤンキーの生徒たちがマジメに歌うんです!それは非常に不思議な光景でした。
どういうわけか、I先生の指導を聞いていると、みんな歌いたくなるんです。私も先生に乗せられて、大真面目に練習して、歌いました。
中学2年の時、私たちのクラスは「アムール河の波」というマニアックな曲を歌いまして、3年生を差し置いて、その年の合唱コンクールに優勝しました。その時のことを、今でも鮮明に覚えています。
中学校卒業後、私は引っ越しを繰り返し、中学校の同期の連中とは疎遠になりましたが、3人だけ付き合いが続いた友人がいました。
そのうちの一人は、中学校卒業後も、I先生が作られたコール・キリエという合唱団に所属して歌っていました。
中学校を卒業して何年も経ったあるとき、彼から、I先生はクリスチャンなんだという話しを聞くことになりました。
その時、私の中で、中学校時代の合唱と音楽の時間に味わった喜びの謎が解けました。I先生という存在に感じていた「特別な何か」が、彼の信仰から来ているものであることが、初めてわかったんです。中学校を卒業した年に洗礼を受けていた私は、I先生にお会いして感謝の言葉を伝えたい、先生の信仰の歩みについて聞きたいと、強く願うようになりました。
けれども、I先生はすでにS中学校を離れておられましたし、インターネット時代でもなかったので、私の願いが叶うことはありませんでした。
世にインターネットが普及し出してから何度か、I先生の足あとを探そうと試みました、手がかりはありませんでした。
ところが博士論文の研究が終盤に差し掛かり、帰国のことを考え始めた2016年の4月のある日、再びI先生のことを思い出し、先生の名前をググッてみました。
すると、I先生ご夫妻を招いて行なわれたある教会の伝道集会のチラシが引っかかり、そこに先生の所属教会が書かれていました。
私は先生の所属教会のホームページを探し出して、「お問い合わせ」フォームを通じてその教会の牧師さんに、I先生宛のメッセージを託しました。
すると数日後に飯塚先生からeメイルが届き、そこにはこう書かれていました。
「何とうれしいメールだったでしょうか、思わず涙が溢れました。塚田さんのお名前は良く覚えています。申し訳ありませんが、顔はすぐに浮かんできませんが、『東大に行かれて、その後牧師をしているのではないか。』などという噂話程度のことは耳にしたことがあるような気がします。お会いできることを心から楽しみにしております。」
2017年の1月25日に私は家族と共に帰国し、1月30日に、実に30年ぶりに、I先生と再会することになりました。
それ以来、I先生との交わりは続いていて、先週、22日の水曜日にもお会いして、祝福の時を過ごさせていただきました。
I先生は、神が創造された世界の中にすでに存在している「音楽」を通して、聖書を読んだこともなければ教会にも行ったことがない中学生たちに、神の国の前味を、foretaseteを、分かち合っていました。
中学時代の私は、I先生が私たちに、神の国の喜びを味合わせてくれていることを知りませんでした。
でも、今振り返ってみれば、あのヤンキーたちが集まっていた中学校にすら、神の国の喜びがあっことは、紛れも無い事実です。
I先生は、神様が造られた世界の中に神の国の種を発見して、それを育て、そして神の国の喜びを分かち合うことのできる、類稀なる音楽の先生でした。
神様が造られたこの世界の中に、神の国の種を見出し、育て、神の国の喜びと安らぎ、そして癒しを、多くの人々と共に分かち合うことができたなら、私たちもイエス様を通して神様が託された使命を、神の国を指し示す共同体となるという使命を果たすことができるのではないでしょうか。
