










2026年8月9日(日)聖霊降臨後第11主日(特定14)(A年)
列王記上 19:9-18; ローマ10:5-15; マタイ14:22-33
カタコンベと呼ばれるローマの地下墳墓には、キリスト教の色々なシンボルが残されています。これらは2世紀の後半から3世紀のクリスチャンたちが描いたものです。
暗い、地下の墓地に、キリスト教のシンボルが残されているのは、4世紀になるまで教会が、文字通り地下組織だったからです。
キリスト教は、主流派のユダヤ人からは異端と見做され、ローマ帝国の法律もこれを禁じていました。
さて、ここでクイズです。ローマ帝国の地下組織だった教会は、ローマの地下墳墓の壁に、自分たちの信仰のシンボルとしてどんなものを描いたでしょうか?
代表的なものをいくつか挙げてみます。皆さんが想像したものが、この中にあるでしょうか。
「鳩」、「魚」、「パン」、「葡萄の木」、「肩に羊を抱えた羊飼い」、「錨」。ギリシア語のアルファベットの最初と最後の文字「A」と「Ω」。ギリシア語繋がりで、「キリスト」とギリシア語で書く時の最初の2文字にあたる「X:キー」と「P:ロー」を重ねたもの。
そして、今日の福音書の物語とも関係のあるシンボルに、「嵐の中の舟」があります。
カタコンベの壁に、そして福音書の中に描かれた、嵐の中で波に揺れる舟。
それは、外からは主流派のユダヤ人とローマ帝国からの迫害に直面し、内側では帰って来るはずのイエス様が帰ってこないという問題に揺れる、教会の姿を表しています。
今日の福音書の物語は、嵐の中に、恐れと不安の中に放り出された教会を励ますために書かれたものです。
旧約聖書の中で、巨大な水の塊は、死の力や、秩序を破壊するカオスの力と結び付けられています。
嵐、波、大雨、海、そして洪水。これらは神が造られた世界の秩序を破壊し、命を奪う力であり、恐怖の対象です。
旧約聖書の創世記1章には、天地創造の物語があります。天地創造の業は、混沌と破壊の力を象徴する巨大な水の塊を、神が上と下とに分け、カオスの中に秩序を与えることによって進んでいきます。
創世記1章6節と7節にはこうあります。「神は言われた。「水の中に大空があり、水と水を分けるようになれ。神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを分けられた。そのようになった。」
神が分けたこの水は、創世記1章2節に「地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とある、深淵のことです。
巨大な水の塊である深淵を、神が上と下とに分けることによって、そこに大空が、天蓋が出現した。そう語られます。
そして天蓋の上の水と、地下の水、そして天のドームの下で一つに集められた水の塊である海を、神が治めておられる。ヘブライ人はそのように考えていました。
天地創造の少し後、創世記の7章には、有名なノアの方舟の物語があります。ノアの方舟の物語は、創世記1章の天地創造物語のいわば巻き戻しです。
つまり、神が上と下とに分けて治めた巨大な水の塊が、再び暴れ出すんです。
7章11節にはこうあります。「ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、その日、大いなる深淵の源がすべて裂け、天の窓が開かれた。」
混沌と破壊の力である巨大な水が、神の力によって分けられ、治められることによって世界の秩序が生まれました。
しかし再び暴れ出した水の力によって、世界の秩序が破壊され、カオスへと返ってしまった。それがノアの方舟の物語です。
弟子たちの乗った舟が嵐の中で波に翻弄されているときに、イエス様が湖の上を歩いてやって来るという話は、マルコの福音書(6:45-52)と、ヨハネ福音書(6:16-21)にもあります。
この物語がしようとしていることは、巨大な水を、海を、嵐を治める神の力が、イエス様を通して働いているのだと示すことです。
たとえ教会が嵐の中に放り込まれ、波に揉まれることがあっても、教会という舟の上にはイエス様がいてくださる。だから決して沈むことはない。
それが、嵐の湖の上を歩くイエス様を通して、物語が伝えようとしているメッセージです。
ところが今日の福音書朗読の箇所にだけ、マタイの福音書にだけ、ペトロが水の上を歩いて、イエス様のところに行くという話しがあります。
マタイ福音書の著者が所属していた教会にとって、ペトロは最も重要な指導者でした。そのことはマタイ福音書の著者が、イエス様にこう言わせていることからもわかります。
「あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てよう。陰府の門もこれに打ち勝つことはない」(マタイ16:18)
マタイ福音書の執筆年代は80年以降ですから、ペトロの殉教から15年から20年の間に書かれたということになります。
偉大な指導者ペトロを失い、帰ってくると思っていたイエス様も帰ってこずに、教会は嵐の中に放り出された。
しかしイエス様は、沈んだペトロを引き上げて、今、イエス様はペトロと共に、この舟の上にいてくださる。
ペトロを救い出し、嵐を治めるイエス様は、教会を救う「神の子」なんだ。そう、今日の福音書朗読の物語は語っているわけです。
さて、今日の福音書朗読の物語に描かれ、カタコンベに描かれた小舟と同じように、私たちが乗っている船も、この時代の教会も、巨大な嵐の中で航海を続けています。
戦後秩序と呼ばれたアメリカ中心の世界秩序は、西洋の帝国主義と植民地主義の延長に過ぎなかったことが明らかになり、わずか81年で終焉を迎えようとしています。
日本はアジアで唯一の、西洋帝国主義クラブの一員となり、東アジアでの植民地獲得を目指して侵略戦争を推し進め、1,500万人以上もの人々の命を奪った国です。
しかしこの国は都合の悪い負の歴史から目を背けて、集団記憶喪失状態となり、戦前回帰の道を突き進んでいます。
排外主義とレイシズムが若い世代の間でも、特に「日本社会には希望がない」という認識を持つ若い人たちの間で、急激に進んでいます
私たちは、今までに経験したことのないような巨大な嵐の中に放り出され、航海を続けることになりました。
しかし全世界を巻き込むこの巨大な嵐は、神の力を身に帯びたイエス様を乗せた舟が、西洋の教会が引き起こしたものでもあります。
徳川支配が終わり、新たに国の指導者となろうとしていた人々も、キリスト教の禁教政策を続けました。
西洋からやってきた宣教師たちは彼らにこう言って、キリスト教の受け入れを勧めました。
キリスト教を受け入れれば、日本も欧米列強のような強い国になれる。
私たちは祈りながら、問いかけなくてはなりません。私たちが乗る舟は、聖マーガレット教会は、どんなイエス様を乗せて航海を続けようとしているのか、と。
私たちは、神の力を身に帯びた、マッチョな「神の子」ではなくて、罪人と、遊女と、徴税人と共に食事をし、外国人の病を癒し、隔ての壁を壊されたイエス様を迎えて、航海を続けたいと思います。
父なる神様が承認し、新たな命へと起こされたのは、そのイエス様だからです。
