








2026年10月18日(土) 聖霊降臨後第21主日(特定24)
イザヤ45:1-7; Iテサロニケ1:1-10; マタイ22:15-22
先週の木曜日に、埋葬式のために鎌倉のとある墓地まで行きました。アルペなんみんセンターがその墓地の目と鼻の先だということがわかり、足を伸ばしました。
そして、2025年3月23日の大斎研修で講演をお願いした松浦由佳子さんにお会いしてお話をし、アルペ難民センターの中を案内していただきました。
現在、アルペには14人の難民申請中の方々が生活しておられるとのことでしたが、何人かの方と話しをすることができました。
中でも、旧ユーゴスラビア出身の方が話してくださった経験は、私たちが当たり前だと思っている「国」というものが「神話的存在」に過ぎないという現実を突きつけるものでした。
彼が生まれ育ったのは、ユーゴスラビア連邦という国でした。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」を持つと言われたユーゴスラビア連邦は、カリスマ的指導者のヨシップ・ブロズ・チトーの下で、「一つの国」としてまとまっていました。
しかしカリスマ的指導者のチトーが1980年に亡くなると、豊かな北部(スロベニア、クロアチア)と貧しい南部(セルビア、ボスニア、コソボ等)の間で不満が噴出し始めます。
そこにセルビア民族主義を掲げるスロボダン・ミロシェヴィッチが登場し、ユーゴスラビア連邦の主導権を握ろうと画策します。
ミロシェヴィッチに反発したスロベニアとクロアチアは連邦離脱に向かい、1991年にユーゴスラビア連邦を離脱します。
1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、ボスニア紛争、コソボ紛争へと発展し、そこにドイツ、アメリカ、シオニスト国家が介入し、暴力の連鎖が一気に加速します。
そして旧ユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、北マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボへと分裂しました。
アルペなんみんセンターで出会った男性が生まれ育ったユーゴスラビア連邦という国は、もはや存在しないのです。
ユーゴスラビア連邦の解体によって家族も分断され、国籍も、帰れる国も失ったこの男性は、30年近く日本にいますが、いまだに難民として認められていません。
今朝の福音書朗読の物語の中に登場するファリサイ派とヘロデ党(新共同訳ではヘロデ派)は、ユダヤ人社会の中で、完全に対立する政治的立場です。
この世の対立する政治的立場の者たちが手を組んで、神の国に敵対し、イエス様を陥れようとしている。それが今日の物語です。
もしイエス様が、「ローマ皇帝に税金を払うことは律法に適っている」と言えば、彼はファリサイ派から、「律法を持たぬ異教徒の支配を認める裏切り者」として吊し上げられます。
他方、「皇帝に税金を払うことは律法に適っていない」と言ったなら、ヘロデ党の人々はイエス様を皇帝に対する反逆者として、ローマ当局に引き渡すでしょう。
ファリサイ派とヘロデ党の政治的立場は真逆なのに、神の国に敵対し、イエス様を亡き者にしたいと思っている。その一点で一致しています。
イエス様は、「皇帝に税金を納めるのは許されているでしょうか、いないでしょうか」という質問に答えません。
代わりに、皇帝に税金を払うためのデナリオン銀貨を見せるようにと言います。
彼らが差し出したデナリオン銀貨には、皇帝の顔が刻まれ、そしてこう書かれていました。「神なるアウグストゥスの子、皇帝ティベリウス・アウグストゥス」。
イエス様がここで、「これは、誰の肖像と銘か」と問い返すと、彼らは「皇帝のものです」と答えます。
それを聞いたイエス様は言います。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
イエス様はここで、「それは皇帝のものだから、皇帝に返せ」と言っているのでありません。「あなたがたが、それは皇帝のものだと言うのなら、皇帝に返したらどうか」と言っているのです。
イエス様自身は、すべてのものは神様のものだと知っています。イエス様にとって、神様のものでないものなどありません。
しかし、この世で主導権を握ろうとする者たち、この世で支配者になりたい者たちは、神様のものを自分のものだと言い張ります。
イエス様が語られた神の国は、神様のものである世界を、神様に逆らって自分のものだと言う連中から、神様のものとして取り戻すプロジェクトです。
もし私たちが、イエス様の語られた神の国の民として生きることを願うなら、神に逆らうこの世の国の要求を出し抜くことが、outwitすることが絶対に必要です。
私の指導教授の一人だったStanley Hauerwasという神学者はよく、この世の政治は「冗談(joke)」なんだと言っていました。
国というのは神話的存在であり、ファンタジーです。近代国家というファンタジーが生まれたのは17世紀後半のことで、その歴史は僅か250年ほどです。
大日本帝国は1889年から1947年年までの、わずか58年しか存在していませんでした。戦後日本の歴史だって、ようやく80年を迎えるに過ぎません。
20年後には、私たちが、あるいは子どもたちや孫たちが、難民になっているかもしれません。そうならない保証など、どこにもありません。
例え奇跡的に、20年後も今の体制が維持されていたとしても、多くの若者は、生きていくために、出稼ぎ労働者としてアジア諸国に出ていくことになるでしょう。
しかし、世界中のどこに散っていくことになったとしても、そこに神の国の民として生きようとする教会があるなら、私たちはどこにでも、自分の居場所を、ホームを見出すことができます。
この世の国は、恣意的に国境を定め、恣意的に国民を定め、国民に属さないと見做した者は、人として扱いません。
しかしナザレのイエスに倣い、神の国の民として生きる私たちは、この世の国を出し抜きます。神の国に、この世の国境線は適用されません。
この世の国が滅びても、神の国は滅びません。この世の国が滅びても、そこに住んでいる人は生き続けます。
難民は人です。私たちと同じように、神の国に招かれた人々です。
今日の午後に行われるバザーは、極めてささやかな働きですが、それは、この世の政治的分断を乗り越えて人と出会い、この世の国が排除する人々を、神の国の民として迎えようとする、とても大切な働きです。
どうぞ、この特別な日の、特別な働きを、喜び、楽しみ、そして支えてください。
